消防の救急業務の法的位置づけ | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

救急業務が横浜市で始まったのは昭和8年で、その後30年間は法的根拠なく実施されていた、と言われている。
昭和38年に消防法の一部改正が行われ、消防法第2条に9項が追加され、ようやく「傷病者の搬送」という救急業務に関する規定が明記されたということである(どうやら、翌年の東京オリンピックの開催に備えた法整備の一環だったようだ。)。

さて、救急業務は消防の本来業務にあたるのだろうか。

現時点では救急業務は消防の本来業務の一つと認識されているが、法的に消防の本来業務とされたのは平成21年の消防法の一部改正の時である、というのが橋本雄太郎氏の解説である。
なるほど、と思うような指摘である。

救急業務は必ずしも消防が担わなくてもよかったのかも知れない、独自の救急業務機関を立ち上げてもよかったのかも知れないという思いはあるが、市民のニーズに合わせて行政サービスの一環として消防が救急業務を担うようになったのも悪くはなかったな、という感じである。

しかし、救急業務が消防の本来業務として認識されるようになったことから、救急業務に関わる各種民事紛争の解決の法理が変わってくることになる。
消防の救急業務が住民に対する付随的サービス、おまけのサービスくらいの感じだったら、搬送途上の措置に起因する様々な事故に対しては準事務管理の法理で対処することも出来たのではないかと思う。

準事務管理の法理に従えば、重大な過失や故意がなければ、仮に事故があっても消防すなわち当該消防機関が所属する自治体が損害賠償責任を問われることはない、と考えることが出来た。
現に、当局側で準事務管理の法理に基づいて重大な過失がないので損害賠償責任を負うことはない、と主張した事例もあるようである。
もっとも、現実の裁判例では結局裁判所は準事務管理の法理を認めなかったようだから、今では過失が認められれば国家賠償法上の賠償責任が認められる、と言っておいた方がよさそうである。

不搬送というよりも、そもそも救急車を出動させなかったことの違法を問われて損害賠償請求がなされた事案が今朝の新聞に載っていた。

裁判所が和解勧告をして山形市が和解金の支払いに応じた、ということだから、多分消防の本来業務(この場合は、救急車出動の要否の判断や救急車出動要請した住民に対する指示)の遂行に過失があったということだろう。

参考:朝日新聞配信記事

「救急車出動せず大学生死亡、遺族側と山形市が和解へ
朝日新聞デジタル 2月7日(土)5時34分配信

山形市で2011年、アパートで一人暮らしをしていた山形大学2年の大久保祐映(ゆうは)さん(当時19)が死亡したのは、119番通報をしたのに救急車が出動しなかったためだとして、母親が市に約1億円の損害賠償を求めている訴訟の和解協議が6日、山形地裁であった。地裁が和解案を示し、原告側、市側の双方が基本的に受け入れる意向を示した。

 双方の代理人弁護士によると、和解案は(1)市が和解金を支払う(2)市がこの問題に関する「総括」を行い、公表する(3)今回の経緯などを消防本部の救急搬送体制に関する研修プログラムに組み入れる――の3点からなる。和解金の額について双方とも「公表できない」としている。

和解協議を受けて山形市の市川昭男市長は「和解金に関する補正予算を含む議案を市議会に提案し、議決を得たうえで和解したい」と語った。市側は、総括の内容や研修プログラムなどについて原告側と調整を進め、早ければ3月17日と31日に予定される協議で和解したい考えだ。

訴状などによると、大久保さんは11年10月、一人暮らしの自宅アパートから「体調が悪い」と119番通報し救急車を要請した。しかし、山形市消防本部は近くの病院にタクシーで行くよう促し、救急車を出動させなかった。大久保さんはその9日後、自室で遺体で発見された。(岩沢志気、多鹿ちなみ)」