橋下氏の感覚の方が正常だろうと思う。
どんな組織でも肩書の好きな人がいるが、実質を重んじる人は肩書には拘らない。
維新の党にとっては橋下氏はなくてはならない存在だが、若い橋下氏に最高顧問などという肩書を与えようとしたところに既成の政治家の限界を感じる。
イヤだ、と絶対にイヤだ、と橋下氏が記者団に語ったのであれば、最高顧問などというどうでもいい肩書など外せばいい。
形式主義、肩書主義は若い人には通用しない。
これは単なるパフォーマンスの問題ではなく、政治家としての感性の問題である。
私は、誰かの下に入るのが性に合わないからいつも長を求めるが、本当は長でなくてもいい。
自由にものが言える立場が欲しい。
物事を動かす力が欲しい。
自分に相応しい働き場が欲しい。
ただそれだけである。
橋下氏は、見切り上手な弁護士である。
自分の感性通りに動いた時にはそれなりの結果が出せる、と信じているようだ。
維新の党の代表の座に就いて、あれこれ国会議員の様々な意見の取りまとめなどにかかずらわっていると自分の持ち味がずいぶん薄れてくる、と考えているのだと思う。
見切り上手で、切り替え上手、喧嘩上手な橋下氏は自分が動くべきタイミングをよく知っているはずだ。
江田憲司氏にはなかなか橋下氏のこういった感性は理解できないだろうが、全部自分たちに任せられたのだと割り切って、思い切った行動に出たらいい。
結果さえ出せれば、皆ついていくはずである。
実に面白い。