自民党の国会議員は石原新党が出来ることでいずれは踏み絵を踏まされることになる。
石原新党を取るか公明を取るか、という選択である。
石原新党を取れば、自民党は自主憲法制定派の天下となり、かつての穏健保守の人たちの声は徐々に自主憲法制定、対米自立、強靭国家建設を求める声にかき消されるようになる。
かつて自民党の衆議院議員として国政の現場で仕事をしていた私としては、これは困る。
国民の融和よりも、自分達のイメージ通りの国づくりを急ぐ人たちが増えてくると思われるからだ。
イデオロギー過剰で、テンションの高すぎる国家に変質していっていいことは殆どない。
壮士や志士と言われる人たちは自分たちの価値観の方が一般の国民よりも優れていると思っているから、異論を挟む人たちの存在に対して段々に狭量になっていく。
時には異論の存在が邪魔になり、これを排除するようにもなる。
自由主義的な色彩が後退し、国家的統制を好む人たちが増えると、いずれは言論の自由や政治活動の自由、学問の自由などにも干渉するようになる。
多分、教育の在り様が一番のターゲットになる。
日教組の教育支配に激しく嫌悪感を示してきたのは、中山成彬氏だけではない。
日本の教育を日教組から取戻し、政治主導で教育の在り様を変えていこうという方向が打ち出されるようになると、急速に日本は自由主義的色彩が薄らぎ国家主義的な体質に変容していく虞がある。
教育委員会の廃止や教科書の選定についての国家的な統制、道徳教育の推進、教育公務員の政治的活動に対する禁止規制の強化などの政策が進められると、教育の世界がずいぶん息苦しくなるはずだ。
イデオロギー過剰な社会は、非体制派の人々にとってはずいぶん生き辛い社会になるはずだ。
地方主権などという言葉に激しく反発する人たちが増えれば、地方分権の流れもいつしか停まってしまう。
私は、自由と民主という言葉に限りのない魅力を感じるが、イデオロギー過剰な社会になると自由も民主も相当後退するのではないか、と危惧している。
石原氏の周辺には国家主義的な人を惹きつけるような怪しい魅力があるから、石原新党が誕生すると自民党の中でも国家主義的な傾向の人たちの声が大きくなり、穏健保守の人たちの声が段々に上がらなくなるのが怖い。
自民党は懐が広くて深い政党だから、様々な背景の人が入っていた。
それこそなんでこの人が自民党なんだろうと思うほどリベラルな人も存分に自民党の中で羽根を拡げることが出来た。
そういう人の声が、石原新党や自民党の中で真正保守を名乗る人たちの大きな声でかき消されるようになるのが怖い。
私は、改憲論者ではあるが、憲法の破棄などは求めない。
保守主義者ではあるが、国家主義の立場には立たない。
国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の理念はしっかりと守りながら、新しい時代に相応しい新しい憲法を私たちの手で作りたいと願っている。
これが、私の言う護憲的改憲主義である。
いずれは憲法改正についてどう向き合うのか、で政党や政治家を選ばなければならない時代が来るだろうと思っている。
共産党や社民党は単なる護憲政党だと思っているから、共産党や社民党には何の期待もしていない。
かつての自民党には護憲的改憲主義者が存分に活躍する場があったが、今の自民党にそういう場が残されているのかはよく分からない。
だから、私は若い方々に期待している。
自由と民主という理念を大事にする、護憲的改憲を標榜する保守主義者を糾合できる新しい政治勢力を創り上げて欲しい、と。
弁護士早川忠孝の雑来帳「ザッツライッ」
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