祭りの寄付、会費と書けば寄付でなくなるか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

猪瀬氏は、政治や選挙、さらには法律の当て嵌めの問題について考えさせる材料を色々提供してくれるから、その方面の研究を専らとしている私にとっては大事な人だ。

借用書にサインしておけば受け取ったお金が贈与ではなく借り入れになる、ということがあるのかどうか、という問題を私たちに提示してくれた。

税務署から絞られた経験のある人たちは、たちどころに答えるはずだ。
ない。そんなことはない。

家を建てる資金を親からもらった時にこれは親からの借金だと言い張る人がいて、時には借用書や消費貸借契約書を見せる。
利息の約束があるか、現実に分割返済している事実があるか、銀行を通しているかなどを確認して、普通の借り入れであれば当然あるはずの事実がなければこれは親からの贈与だとして贈与税が課せられる。

これは実務では定着している考え方で、この取扱いについてはいくら争っても無駄だ。
税金を納めたり税務調査を受けたことがある人なら誰でも知っているような常識だ。

猪瀬氏は基本的には頭がいい人だから、こういうことは百も承知だと思う。

さて、お金を出した人が親でなくて、見知らぬ赤の他人だったらどうだろう。
本当の借り入れの時もあれば、表にできない金のやりとりだということもある。

ただし本当の借り入れの時は、一般の商慣習、商取引の常識に沿っていなければならない。
金額にもよるが、通常は返済期日を明記し、利息の約束もする。
金額が多ければ保証人を付けたり担保物件を差し出す。
5000万円というお金はとても右から左に出るようなお金ではないから、借り入れの申し込みをしてから何日も経ってからはじめてお金の授受がなされる。

さて、ここからが問題である。
猪瀬氏は、なんで徳田毅氏から5000万円を受け取った時に、自分から借用書を書いて相手に渡さないで徳田毅氏が予め用意した用紙にサインして渡したのか。

こういう時に金を出す側が金を受け取る側に書名を求める用紙は、お金の受取証である。
金の出し主、金主が使いの人や代理人を通じて相手に金を渡す時に、こういう手法を使う。
本人が受け取ったか金主が確認できないから、金主に報告できるように受取証にサインを求めるのである。

こういう類の受取証には、実印は使わない。
必要なのは、あくまで本人の自筆のサインである。

この受領書の宛先は、あまり関係がない。
この受領書の標題が受取書になっていようが借用書になっていようが、まったく関係ない。
ただ、本人が間違いなく受け取ったという証明が出来ればいい。

こういう表に出来ない金のデリバリーの時は、受取人の名刺に受け取ったというサインをするというだけで済ませることも多い。
借用書にサインしたから借りたのだ、という弁明は通らない。

たまたま祭りの寄付が問題となっている。
私の親しい議員たちが祭りの際に祭りの寄付を会費という名目で出したということが問題になっている。
寄附でなくて会費の名目で出せばいいんじゃないか、ということはいつも選挙に出る人たちの間では話題になることだが、会費という名目を使っても実態が寄附であればこれは寄附になる。

名目が借入でも実態が寄附なり政治献金だということになると、後で返却しても寄附なり政治献金の実態は変わらない。
猪瀬氏が示した借用書が本物でも、これは単に5000万円を猪瀬氏が受け取ったという事実を示す証拠物件でしかない。