今は死語となっているのだろうが、私の耳にこびりついている言葉がある。
土方殺すにゃ、刃物をいらぬ。雨の三日も降ればいい。
仕事がなければ干乾しになる。
干乾しになれば死んでしまう、ということだ。
私は、4年前に国会での仕事の場を失った。
仕事人間である私にとっては、仕事の場を失うことは結構辛いことだ。
何年経ってもそのことは変わらない。
なかなか自分の出番が回ってこないので、やむを得ず自分で仕事を作って自分を忙しくしていた。
忙しくすることで自分の平衡を維持するようなところがあったと思う。
元議員バッジを付けることに強い抵抗感があり、議員会館に足を向けることが嫌で堪らないこともあった。
4年経ってようやく元議員バッジを付けることにも議員会館に出向くことにも慣れてきた。
何処かに自分の出番がないものか、ともがいていたところがあったが、そういう気持ちからもようやく卒業出来た。
今日から新しいスタートを切る。
毎日新しいスタートを切ってはいるのだが、今日は特別に大きな目標に向けての新しいスタートである。
若い人たちの応援団になることを標榜しながら、それでもこれまではどこか自分の出番を探しているところがあったが、もうそうする必要がなくなった。
純粋に、卒業である。
純粋に、若い人の応援団に徹することが出来るようになった。
「EMS(Emergency Medical Service)議連設立に伴う病院前救護を考える有識者の会」を今日立ち上げ、私がその座長を引き受けることになった。
4年前に挫折したER議連が復活するというだけではない。
病院前救護、プレホスピタルという分野に新しい光を当てようという議連がいよいよ誕生することになる。
その議連の活動を支える有識者の会が発足し、議連と協働してプレホスピタルの分野に新しい光を当てていこうというのだから、仕事人間である私にとってこれ以上の幸せはない。
議連の会長を清和政策研究会の会長である町村信孝氏が引き受けてくれることになった。
議連の事務局長には、厚労省出身の豊田真由子衆議院議員が会長の指名で就任する。
なんという巡り合わせか。
私は、4年前の衆議院選挙に落選し、次の衆議院選挙には立候補しないと宣言した。
正確には、自民党から出馬しても私には余程のことがないと勝機が巡ってこないから、自分から名乗りを上げることはしない、という意思表示であった。
その後3度の公募を経て、ようやく自民党の公認候補に決まったのが豊田氏である。
その豊田氏が議連の事務局長に就任するということは、すなわち議連と協働する有識者の会の座長である私も豊田氏の応援団の一人になるということだ。
フリーになる宣言をして以来地元の自民党の会合に出席することもなくなっていたが、今日からは誘われれば豊田氏の会合に出席することになる。
4年経って、振り出しに戻るということだ。
4年経って、今度は、混じり気なしの純粋な若い国会議員の応援団になるということだ。
すべてのことが分かった上で、私にこうした出番を与えてくれた大切な友人がいる。
大阪選出の中山泰秀衆議院議員である。
平成15年の衆議院選挙で当選した同期である。
まだ若いに関わらず、人情の機微に通じた苦労人である。
落選4回。
私と同じだけ落選の経験も重ねてきているから、なんでも知っている。
人の何倍も苦労することも厭わない、友情に厚い仕事人間である。
立場は違っても、こういう立派な仲間達と再び一緒に仕事が出来るようになったのだから、今日は私の新しい人生のスタートの日である。
出番を作っていただいた皆さんに、心からお礼を申し上げる。
ちなみに、今日は裁判員制度発足記念日でもある。