さて、どうするか震災遺構保存問題 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

地元の皆さんからの投稿がないようなので、この問題についてはここらあたりで一区切りを付けておこう。

4月17日に下記の毎日新聞の記事にある塩田賢一さんとお会いして直接お話を伺ってきた。

塩田さんは気仙沼の鹿折で復幸マルシェという仮設商店街を設立し、被災地復興の最前線に立っている民間人である。

多くの住民が津波被害の大きさに呆然と立ち尽くしている中で、率先して瓦礫の撤去や被災建物の解体、さらには建物解体後の跡地の整地、太陽光発電を利用した新しい照明設備の設置、被災児童のための遊び場や遊具の設置、被災した店舗経営者のための集会施設の設置、図書室の整備などに取り組み復幸マルシェという仮設商店街を起ち上げるまでに至っている。
仮設商店街の建物の建設については国の支援があったようだが、その他はほぼ自腹で賄ってきた、というから大変な人である。

この仮設商店街がある一帯は3メートルの嵩上げが予定されているとのことで、いずれは復幸マルシェ商店街はなくなるらしい。
一民間人が挺身してきてようやくここまで復興してきたというのに、市が策定した復興計画ではこうした民間の自発的な取り組みについては未だ特別の配慮もなされていないようである。

佐々木大魔神が200万円も寄贈して設置した仮設商店街の照明灯も、塩田さんが自腹で設置した子どもたちの遊具設備も、さらには被災した店舗経営者のための集会施設や図書室なども一切合財何もかも撤去しなければならないのか。

そういう思いが、先日の私のブログ「ちょっと待て、短期は損気」という一文につい現われてしまった。

第18共徳丸は、この復幸マルシェ商店街のすぐそばにある。
第18共徳丸の前で手を合わせる人たちが次に訪れるのが、この仮設商店街復幸マルシェである。

なんとかして欲しいものだ。
そう思って、そろそろ国が出るべき時ではないか、と書いてみた。
ちょっと待て、というのは、本当は、市や県さらには国に対しての呼び掛けだった。

しかし、多くの方の共感を得ることが出来なかった。
この状態では、第18共徳丸の解体は止むを得ないかも知れない。
何か別の知恵を出す必要があるようだ。

参考:毎日新聞4月11日配信記事

東日本大震災:「保存」「解体」揺れる漁船--宮城・気仙沼
毎日新聞 2013年04月11日 東京夕刊

「東日本大震災から2年1カ月となった11日、宮城県気仙沼市では、津波で打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(約330トン)の前で手を合わせる人の姿があった。
 船主の水産会社(福島県いわき市)は被災者の心情や安全性を考慮し、4月中にも解体工事に着手したいとの意向を気仙沼市に伝えたが、同市は教訓を語り継ぐ遺構として保存を模索しており、議論が続いている。
 毎月11日に漁船周辺を清掃している近くの仮設商店街の店主、塩田賢一さん(46)は「住宅再建が進まず、地元はまだ冷静な判断ができない。2年で結論を出すのは早い」と話した。」