落としどころを考えるのが、法律実務家である弁護士の特徴である。
どんな紛争でも解決できる。
そういう信念で事に当たる。
民事的な紛争の場合は、基本的には金で解決する。
経済的な利害の対立がある場合に、その利害の対立を徹底的に理屈だけで解決しようとする法律実務家はいない。
学者や研究者の方々は理屈を大事にするから、いささかも妥協することがないこともあるが、有能だと言われる法律実務家は大体において落としどころを見つけるのが上手い。
金で解決できない時はどうするか。
時間で解決するのである。
時間をかけて、解決できる時の来るのを待つ。
どんな難しい対立がある間柄でも、時間が経過することによって一時期の対立感情が薄らぐ時が来る。
激しい対立があるときは、決して無理をしない。
経済的な利害の対立が根底にある紛争の場合は、どうやってその経済的利害関係を調整するかということに知恵を絞る。
これは、比較的易しい仕事である。
足して二で割ることも出来るし、時にはウインウインの解決方法も見つけることも出来る。
難しいのは、感情の対立がある場合だ。
大体は何をやっても収まらない。
こういう時は、感情の対立が勘定の対立になるまで待つ。
これが上手な解決方法の一つである。
経済的な利害の対立にまで紛争を落とし込めれば、なんとか解決の道が開けるものだ。
大阪の橋下氏は、弁護士の世界でも結構目端が利いた弁護士の一人だったように思う。
ちょっと目では解決が出来ないような難しいことでも何とか解決する。
少なくとも、解決の道筋を示すことが出来る。
竹島や尖閣について、国際司法裁判所での解決を求め、国際司法裁判所での結論が出るまでの間はその利用について共同管理がいいのではないか、という橋下氏の提案は、如何にも弁護士らしい発想である。
とことん議論を尽くすということは大事だが、対立を煽るだけでは駄目だ、何か知恵を出さなければならない、ということからの提案だと思う。
政治的にはなかなか難しいメッセージになるから、頭に血が上っている人たちからは糞みそに言われそうな提案だが、私はこれでいいと思っている。
剥き出しの力の行使で国際的な紛争を解決する時代ではない。
まずは、法の定めるルールに基づいて解決することだ。
国際的な紛争を解決する万能の組織やルールはまだ確立していないが、国際司法裁判所の場を利用して竹島や尖閣の問題の決着を図る、ということは悪いことではない。
橋下氏の発想は、結構柔軟である。