これは、大阪のプライドの問題なんだろうと思う。
東京一極集中を是正するための一つの手段として大阪を「都」に昇格させたいというのであれば、別にこれを妨げるほどの理屈はないと思う。
私は、天皇陛下がおられるところを首都と呼ぶのだ、という言い方には賛同しない。
それこそ皇居を大阪に移せばそれだけで大阪が新首都になるのか、ということになる。
大阪遷都論や京都遷都論があるのは知っているが、まああまり拘る必要はない。
基本的には国権の最高機関として位置付けられている国会が置かれているところが国の首都だというくらいの認識でいいのではないだろうか。
東京は首都直下地震に見舞われる虞が年々高まっているから今の内に首都機能を分散させておくべきだ、という考えで副首都や予備首都を置くことは悪い考えではない。
関西経済圏の底上げのために、大阪を副首都に位置づけ、いざという時に政府が迅速かつ適切に対応できるような備えをしておくのだ、ということであれば、大阪を都と呼んでも私には何の異存も支障もない。
そのうちに中京都や奥州都、沖縄九州都、中四国都などを作るべきだなどと言う議論が起きるかも知れないが、作りたければ作ればいい。
政治的な統治機構などは自分たちの好きなように自分たちで決めればいい。
誰かが作ったものが最善で、絶対に動かせないものだなどと考えないことだ。
国民主権を徹底すれば、国民が自分たちで好きなように政治的な統治のシステムを作るのは当たり前だ、ということになる。
大阪都を言い出した橋下氏は、そういう基本的なことを国民に知らせたのだから、やはり大したものである。
結論は、どっちでもいい。
要するに、都にすることによってどんなメリットが国民にあるか、ということに懸かっている。
何のメリットもなければ、そんな無駄なことは止めればいい、具体的に沢山のメリットがあってそれほど改革のコストもかからないのであれば、やってもいい、という程度の問題である。