皆さんに考えていただきたいのは、核武装をしないで日本がいかなる事態にあっても、強かに国民を護り独立の主権国家として生き残る、ための方策である。
抑止力としての核の保有を主張される方々は、基本的にハードパワーとしての戦力の均衡論に立たれているのだと思う。
確かにそのとおりだとは思うが、後述するとおり単純な戦力均衡論では結局軍拡路線を歩まざるを得なくなるので、私はこれを採らない。
大変困難な道ではあるが、日本は非核・強国の道を辿る外ないのだと思っている。
日本の現在の憲法体制の下では、どうやっても日本が軍事大国への道を歩むことは許されない。
わが国は非軍事大国でなければならない、という絶対条件の下で、どうやって国民の安全を護り、独立国家としての自主自立を確保していくか。
これが、問題である。
今、日本の核武装を主張する人たちは、もはや日本はアメリカに依存はしていられない、日本はアメリカの軍事力に依存しなくても済むように自らの軍事力を高めることが必要である、という認識に立っておられるのだと思う。
反米・非米の体質の人ほど声高に核武装を主張するのは、もともとアメリカを信用していないからだと思う。
しかし、日本の安全は日米同盟によって保障されてきた、というのが私の認識である。
日本の方から日米同盟の基盤を揺るがせてしまうようなことは絶対にすべきでない、というのが私の意見である。
現在日本の核武装を主張されている人は同時に対米自立論者であることが多く、この人たちの声が大きくなれば、結果的にはアメリカとの同盟関係にひびが入る。
だから、私は声高の核武装論には反対している。
核武装による核抑止論を主張される方は、相手国に最初の一撃を打たせないために我が国が相手国以上の核を保有することを提案されているのだと思う。
単に使わない核、抑止力としての核だから何も問題がないように言われているが、使わない核だからこそ軍拡路線に走る虞が高いのではないかと思っている。
数字が得意ではない私だが、私なりにシミュレーションをしてみる。
100の力を持っている相手に最初の一撃を打たせないために持つべき抑止力はおそらく150ぐらいになるのではなかろうか。
最初の一撃でこちら側の持っている力の20や30は失われると考えれば、相手を圧倒する力を発揮するためには反撃のためのパワーは100くらいでは足りない。
101でも102でも足りない。
誰が見てもこれは絶対叶わない、という程度にまで反撃能力を高める必要があるはずだ。
となると、反撃能力は相手国の能力の2割か3割増しが一応の目安になる。
相手国からの第一撃で抑止力の2割から3割失われてしまうと想定すれば、抑止力を持つ戦力は相手国の戦力の1.5倍程度ということになる。
相手国が100の力を持っている時に、その力を行使させないために持つべき力は150ということだ。
圧倒的に強い相手には抵抗しないものだ、という私たちの経験則に当て嵌まるような数字である。
同じぐらいの力だったら何かの拍子に本当の力較べになってしまうが、はじめから結果が分かっているような愚かな喧嘩はしない。
立場を変えて、相手国ならどうするか。
150の攻撃力が目の前にあるのに、いつまでも100のパワーでいいはずがない。
150のパワーに対抗し得る抑止力を確保するためには、200ではなく225のパワーが必要だということになる。
この繰り返しになる。
軍拡の論理は、こういうことだ。
225の次は337.5、337.5の次は505.25、506.25の次は759.375、759.375の次は1139.0625ということになる。
5回繰り返しただけで最初の100が11倍にもなってしまう。
この繰り返しのタイムスパンが10年に1回に起きるとして戦後66年経っているのだから6回は起きている勘定になる。
最初の100が1708.59375になっている。
国際的な緊張感が高まっているときの軍拡競争の場合はとても10年のタイムスパンなど考えられないから、4年とか5年でそれぞれの国が防衛体制の見直しと拡充を図ることになる。
ハードパワーの抑止力に頼ると、どんどん軍拡路線を走らざるを得なくなる。
これが、私の直感である。
ソ連は結局これで財政的に破綻した。
日本が核武装を宣言すれば、周辺諸国でも更に核戦力の拡充に走るようになる。
使わない核を互いに作り続ける、ということだ。
穴を掘って、次の日にはその穴を埋める。
穴を埋めた日の翌日には、更に大きな穴を掘る。
その翌日にはその大きな穴を埋める。
更にその翌日には・・・・・・。
その繰り返しである。
軍需産業に従事する人は忙しくて喜ぶだろう。
国民の1パーセントぐらいの人はそのおこぼれに与って潤うであろう。
しかし、国民の99パーセントにとっては、これほど非生産的なことはない。
とてもこれだけの軍事力を賄うための財政的負担に堪えられない。
核の抑止力に頼るということは、多分こういうことだと思う。
まあ、止めた方がいい。
それでなくても好戦的な国が周辺にあるのだから、危ない火遊びには手を出さないことだ。
ここは、もっと知恵を出すときである。
非核・強国の道はある。