言い繕いが出来ないほどの失敗の連続だったが、それでも私たちは諦めない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

最悪の年であった。
2011年が災厄の年であったことは誰の目にも明らかだが、誰がどう見てもいいことはなかったという意味で、2011年は私がこの世に生を受けた昭和20年から現在までの間で最悪の年であった。

最悪かどうかは、必ずしも苦難の大きさには比例しない。
最大幸福とか最小不幸といった人の幸福度に比例して最悪か最悪でないかを決めるものでもない。
国家が日本国民のプライドや矜持、あるいは価値観といったものをどれだけ傷つけたか、というメルクマールで見た場合に2011年は最悪だったというのが、私の見方である。

福島第一原発事故調査・検証委員会が昨26日に中間報告書を公表したが、これを読むだけで、当時私たちが如何に不幸な星の下にいたかが分かる。

私たちは、何百年に一度という巨大地震とこれによる超巨大津波の被害を受けた。
地震や津波による被害に止まらず、世界の歴史上初めて地震と津波による原子力発電所の爆発事故とこれによる放射性物質の広範な地域への大量漏出、拡散、さらには様々な放射能汚染被害を受けるに至った。

巨大地震と津波被害は避けることが出来なかったかも知れないが、原発の爆発事故や放射能汚染被害は爾後の対処が適切であれば避け得たかも知れない、というのが調査委員会の報告である。

私たちは、まもなく菅前総理の総理大臣としての不適格性や無能さを知ることになるのだろう。
無能で不適格な総理大臣が国政の束ねを担っている時に、日本の歴史上最大の災厄が降りかかってきたのである。
菅総理の無能や不適格などはじめから分かっていたではないか、と言えばそのとおりなのだが、残念ながら、当時私たちには為す術がなかった。

民主党に政権の座を譲り渡して手を拱いていた私たちも責任を免れないのだが、為政者が為政者らしい振る舞いをしなかったことで被害を拡大させたという一面がある。
国政に関わってきた者すべてに責任がある。
私は、そう思っている。
そういう意味では、国政の第一線にいない私にも、元国会議員として責任がないわけではない。

私は、日本の国民がこの国に生まれてよかった、と思えるような国にしなければならないと思ってきた。
しかし、残念ながら、現実には失望、幻滅、がっかりの連続だったのではないだろうか。

新しい年は、希望の年にしていかなければならない。
この災厄の時代を何としても超克して、国民が夢と希望を育てることが出来る年にしていかなければならない。
難しいことではあるが、私たちは何としてもやり遂げていかなければならない。
私たちは決して諦めない。

私自身はそうやって自分自身を鼓舞しているが、さて皆さんは如何か。