寸鉄人を刺す、という言葉がある。
出来るだけ相手の心に突き刺さるような物言いをして本当のことを伝えたいのだが、相手が心を閉ざしたり耳を塞いでいると、どんな鋭い言葉もどんなありがたい言葉も伝わらない。
鈍感の塊のような鈍重さである。
野田総理はいつまで経っても内閣改造に踏み切らないし、いつまで経っても衆議院の解散を約束しない。
来年度予算案を閣議決定したのはいいが、来年の6月までの間の国会審議の円滑化を図るための様々な工夫といったものがまったく見えてこない
何とかなるさ、といった無責任さ、いい加減さが目に付いてくる。
どんなことを伝えても正しく伝わらないもどかしさもある。
先入見、先入見があると、伝わることは伝わっても音が歪んで伝わる。
字がひん曲がって伝わる。
これでは耳に心地よいはずの爽やかな音楽が、ただの騒音、雑音になって聞こえてしまうだろう。
字がひん曲がって見えれば、貴重な献策が姦策のように受け取られてしまうだろう。
私は、基本的に善意である。
いいことはいい、悪いことは悪いと、出来るだけ本当のことを言おうと思って、出来るだけ丁寧に物を言っているつもりだ。
しかし、小沢氏の熱烈な支持者の方には私の比較的清明な声が濁声か罵声のように聞こえてしまうらしい。
聞きたくないのなら聞かなければいいし、読みたくなければ読まなければいいだけの話なのに、やれ今度は道義的な問題を持ち出した、自民党の国会議員のことは一切問題にしないで小沢批判だけ繰り返している、などと私の意見を混ぜっ返そうとする。
よくよく私のブログを読めばもっと本当のことが分かるのに、と思うが、どうも表面のことしか頭の中に残らないようだ。
豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏。
あっ、馬耳東風ということもあった。