最強の弁護人だったらどう対処するか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

そう、早く私のところに相談に来れば良かったのに。

大分以前にそういう趣旨の記事を書いたことがあったような記憶だが、今のところどなたも相談には来られない。
せめて間接的に、人を介してでも相談に来られれば、それ相応の大事なことを話してあげられたのに。
私は、そう思っている。

私の先読みシリーズにはそういうことが満載になっているはずだが、世の中の人は自分の気に食わない話は読もうともしない、勉強しようともしないということだろう。
どんな仏も、救けを求めてこない人を助けることは出来ないものである。
縁なき衆生、という言葉があるが、縁なき衆生は助けたくとも助けられない。

もっとも、弁護士にとっては、縁のない衆生は一人もいない、ということも念のため申し上げておく。
弁護士は、相談されれば、立場の違いを越えて懸命に知恵を絞るものである。
もっとも、知恵と経験がない弁護士がいくら知恵を絞ってもそう大した知恵は出ないものだが。

もう一つ重要なことがある。
大事なことは、運のある人に相談するのがいい。
大事なことは、運のある人と一緒に仕事をするのがいい。
運は、時には知恵や経験に優ることがある。

物事の根本に遡って考えればいい。
最初の躓きは、陸山会と小沢一郎氏との念書にある。
ああいう普通は作らないような文書を作ってマスコミの追及を躱そうとした姑息なやり方が、いけない。
その時はマスコミの追及を躱せたと思っても、それは一時的なこと。
日付を遡って作成した文書であるという証拠をわざわざ残したことになる。

隠せば、追われる。
逃げれば追われるものだ、ということがよく分かっていなかった証拠である。
小手先の工作などするものではない。
本当のことが発覚した時に大変なことになってしまう。
浅知恵に頼るべからず。

要するに余分な書類は作るな。
逃げ隠れしたり、如何にも誤魔化しているような素振りをしてはならない。
堂々としていろ。
これが、本来の弁護士としてのアドバイスである。

間違いがあると思った時はさっさと過ちを認めて謝罪し、訂正すること。
不必要に抗って傷口を拡げるようなことはしない。
実に簡単なことなのだが、実はこれが難しい。
その先がどうなるか見通しが付けられないケースが殆どなので、大抵の人はここで間違える。

自分の配下のような弁護士や相談相手ばかり傍に置いていたのでは、大抵判断を間違える。

反権力の闘争的な弁護士は何でも争うことを勧めるから、帰趨が微妙な事件などを抱えているときにはあまり当てにしない方がいい。
声は大きいが、その通りになった試しがない。
私の知っている限りでは、事件全体が拙い方向に行ってしまうことが多い。

誰が知恵を授けたのか知らないが、政治倫理審査会での弁明を渋ってみたり、検察官の事情聴取に対して積極的に対応しようとしなかったのが根本的に間違っていたのだろう。
こういう場合は逃げると損をする。
先手、先手で動くと事態を好転させることがある。
まあ、上手く行かなくとも、元々問題があるのであればそれなりにペナルティーを受ければいいだけのことで、何も驚くことはない。

腹が出来ていれば、正々堂々と対処できる。
その腹を作るのが、最強の弁護人の仕事であろう。

もっと多くのことを語ることが出来るのだが、頼まれてもいないことだからごく一般的な話だけしておく。
参考にされるも良し、されぬも良し。