市民運動家である限り菅総理は後世に残る業績を残すことは出来ない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

どうしてこうも愚かしい総理大臣を生み出してしまったのだろう、と嘆いておられる方が多いと思う。

自民党の中中川秀直氏などは民主党の国会議員に対して、あなた方に製造物責任がありますよ、などと言っているが、自民党の国会議員にも一般の有権者にも責任がある。
何も業績がないのに素人同然の人を当選させてしまう現在の選挙制度に問題がある。
これは、有権者側の問題だ。
有権者が目が見えない、耳が聞こえない、本当のことが分からない人ばかりだから、民主党の候補者のように、その場限りの、耳あたりのいいことだけ言っているような人でも当選してしまうことになる。
本当に仕事が出来る人が弾かれてしまうのが今の日本の選挙制度である。

次に、当選の回数を重ねてさえいれば本人の実力に関わらず重要なポストに就けるようになっていたこれまでの仕組みにも問題がある。
これでは、当選回数の少ない人はいくら力があっても、その力を発揮する場になかなか恵まれないことになる。

何の業績もないが口だけはうまい、と言う人が当選を重ねる結果になる。
何の業績も残していなくとも批判だけは誰でも出来るから、批判の巧みさで当選の回数を重ね、ついには野党の指導者になることが出来る。

菅総理が辿ってきた道はこれである。
橋本内閣で厚生大臣に潜り込んだ一時期を除いてずっと野党暮らしだったから、何らの業績も残していない。

ずっと口舌の徒だったわけだ。
菅総理が辞めた後で菅総理の歩んできた道を検証してみると、菅総理が何も業績を残していなかったことが明らかになると思う。

先日、岩手県を訪問してきた。
後藤新平の事績を学ぶために水沢の後藤新平記念館を訪れたのだが、現在奥州市となっている市内には後藤新平記念館の外に、斉藤実の記念館と高野長英の記念館があった。
知れば知るほど凄い人たちである。
実によく勉強している。
勉強三昧の生活を送っている。

しかも、実生活にその勉強をよく活かしている。
それぞれの生き様が実に見事である。

偉人の生涯というのは、こういうものか、と思うようなことばかりであった。

盛岡には、先人資料館があった。
米内光政、新渡戸稲造、金田一京助などの資料が展示され、その事績が詳しく紹介されていた。
岩手県が人材の宝庫であることがよく分かる。
戦前は、原敬や斎藤実、米内光政といった総理大臣を送り出している。

菅総理は、どう見ても戦前のこうした政治家の足元にも及ばない。
第一に、勉強していない。
何も業績を残していない。
国際会議に出ても、自分の言葉で語ることが出来ない。
恥ずかしい限りである。
市民運動家として体制変革のために活動してきた菅総理は、結局、為政者としては最悪の総理で終わるだろう。

私たちは、子どもたちがその生きざまを見習うような立派な人を政治の場に送り出していかなければならない。

鳩山前総理も菅総理もどこかおかしい。
日本の現在の政治家養成コースに重大な欠陥がある証拠である。