決断力の源は、意志力である。
日本の現在の危機を乗り越えるためには、大変な意志力を必要とする。
状況主義の人たちは、決断力も意志力も不足している。
この場合の状況主義とは、その時々の状況に応じて主義主張を変え、あるいは政策の転換を行うことを言う。
殆どの人は状況主義である。
自分の立ち位置が分からないから状況主義にならざるを得ない。
状況主義の対極にあるのが原理主義である。
教条的になりやすいが、原理主義はしばしば大きな力を発揮する。
原理主義の典型が小沢一郎氏である。
小沢氏の場合は選挙至上主義だったから、その時々の政策には疑問符が付いたがその行動は分かりやすかった。
選挙にプラスになることは何でもするが、相手を利すること、自分に有利にならないようなことはしない。
これを徹底していた。
みんなが選挙至上主義に陥っているときは、これほど頼りになる存在はない。
もう一つの原理主義は、政策原理主義とでも言うべきか。
小泉元総理の、郵政民営化をはじめとする聖域なき構造改革路線がその典型だろう。
一時期実に大きな力を発揮したが、今はその影も形も見えなくなった。
菅総理は状況主義である。
どこにも原理原則らしいものが見当たらない。
プリンシプルがないから、実に融通無碍に振る舞う。
自分の政治スタンスをその時々の状況に合わせてしまう。
本人はそれでも一生懸命仕事をしているつもりなのだが、傍から見ればただ右往左往しており、無為無策無能にしか見えない。
何をやっても自分の保身のためのようにしか映らない。
今の日本にとって状況主義者は指導者として相応しくない。
状況主義に陥ると決断が出来なくなる。
物が見えていないから、打つ手が分からない。
事態の推移をただ待つだけになってしまう。
待っている間にどんどん自体が悪化するのだが、どうしたらいいのか分からないから徹底的に悪くなるまで待つことになってしまう。
今の日本にとってこれほど不幸なことはない。
と言って、選挙至上主義に戻ってもらっても困る。
こういう原理主義は何としても排除しなければならない。
今、必要なのは、将来に対する洞察力と現実的な行動力を兼ね備えた政策本位の原理主義者である。
今さら小泉元総理の再登場を求めることは出来ない。
自民党最後の将軍・麻生太郎氏にはまだそれなりの力があるが、政策原理主義者ではない。
河野太郎氏は、明らかに政策原理主義者である。
組織の長としての資質にはまだ欠けるところがあるように見受けられるが、今は河野氏のような決断力、突進力が必要とされている。
人を上手に使う、人をおだてながら上手に政策転換を図る、といったことを覚えてもらわなければ国政全般を束ねていくことは出来ないだろう。
しかし、原子力政策の大転換を図るという大きな目標を掲げて目標の達成に邁進していくためには、今の国会議員の中では河野氏ほど適任の人はいない。
問題は、そういう河野氏を使いこなす人がいるかどうかである。
意志あれば道は通ず。意志あるところ道は通じる。
Where there is a will, there is a way.
そうは言うものの、菅総理には肝心の意志(意思)が奈辺にあるのか分からない。