私が「小沢氏の起訴前無罪推定論の誤謬」で指摘したのは、どうも世間には何がなんでも小沢氏を英雄扱いにし、例え起訴されても実際には小沢氏は無罪だと言い張る論者が多くおられるので、それはいくら何でも行き過ぎだと言いたいがためであった。
あえて論争を巻き起こそうと思って、実に取扱の難しそうな微妙な問題を取り上げてみたのだが、本格的な反論や批判は殆ど帰ってこず、これが弁護士の議論か、元国会議員はこんなレベルか、小沢だけをなんで攻撃するのか、などといった実に感情的な反発文言ばかりが目立った。
しかし、その数も余り多くない。
結局大した議論にも発展せず、言いっ放しに終わりそうである。
小沢氏に対する一般の絶対的支持のレベルは、せいぜいこの程度ということだろう。
世間で生理的に小沢批判を受け入れられない人の割合が大きいと、小沢氏の強制起訴に対して抗議行動を起こす人が現れるのではないか心配されたが、今のところその懸念はないようだ。
多くの国民は小沢氏の起訴を冷静に受け止め、既に自分の脳裏に織り込み済みということであろう。
この数年間小沢、小沢で明け暮れたのだから、今更小沢問題がどういう決着になっても国民は動揺しない、ということか。
ということになると、菅氏がこの段階で小沢切りに走ってもいわば当たり前のことを当たり前にやっているだけで、それだけで支持率が急激に変動することはない、ということになる。
菅内閣には大して期待しないが、これ以上失望させないでよ、というところだろう。
昨日今日の支持率がどの程度になるのか早く知りたいところだが、おそらく先週と大差ないのではないか。
余り変わり映えしませんね、というところだ。
本当は物凄く変わってきているのだが、やはり変わった姿を具体的に示さないと分かってもらえない、ということである。
私が変わったということに気がついた人は、しばらく私を見ていなかった人。
2,3キロでは気がつかない。
5キロでも分からない。
さすがに10キロ、15キロと減量して外形が変われば気がついてくれる。
口先だけで変わる、変わるといくら言っても簡単には信用されない。
変わった結果を早く出すことだ。