押尾学事件、3人寄れば文殊の知恵。6人寄れば? | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

新聞報道からだけの感想だが、押尾学被告に対する保護責任者遺棄致死事件の判断は、法律家である私にも難しそうだ、と感じていた。


医療の専門家の間で救命可能性についての判断が分かれているときに、法律家がどう判断するか。

多分その時は、裁判所が独自の鑑定人を選んでその鑑定人の鑑定意見に依拠して判決を下すことになっただろう。


しかし、押尾事件では、検察側の医学的証人の証言と弁護側の医学証人の証言が対立しているときに、両証人の対決型の新たな証人尋問や裁判所の職権に基づく第三の鑑定はなされず、裁判官3名、裁判員6名による合議で判決が下されたようだ。

その判決結果を聞いて、見事なものだと思った。


保護責任者遺棄罪の成立は認めるが、遺棄致死罪までは認めない。

遺棄という行為と死亡との間の因果関係については、合理的な疑いを入れない程度までの立証は尽くされていない、という判断の仕方は、実に理にかなっている。


イエスかノーかの二元論ではなく、訴訟法的な観点を加味しての今回の裁判員裁判の判断の仕方は、法律家である私をも納得させる説得力がある。


どうやら裁判員の方々も今回の審理の経過及び結果については十分得心され、満足されているようだ。

裁判員裁判制度の検証を進める上で画期的な意義を持つ裁判が私たちの目の前で行われた。

私は、そう思っている。


押尾被告本人は実刑判決になったことが不服なようだが、有罪を認めるのであれば、なるべく心を穏やかにして粛々と刑に服し早く罪を償われる方がいい。

私は、そう思っている。


つい先日、元防衛事務次官の守屋被告の送別の会(刑務所への送り出しの会)に出席してきたが、覚悟が出来ている人は、やはり刑事被告人になっても立派だ。


世の中の人が、悪いと判定しているのに、押尾被告が、いや、自分は出来るだけのことはやったつもりだ、などと抗弁しても、現に人が死亡している以上何らかの刑事責任に問われることは間違いない。

胸に手を当てて、よくよく考えたらいい。

それが、私の押尾被告に対するアドバイスである。