私も町村派の幹事会のメンバーだった。
昨日の町村派の幹部会で森元総理が町村派の退会届を出して退席した、というのは、この町村派の幹事会のことだと思う。
ある意味で森元総理の町村派退会は、自民党が大きく変わるためにどうしても必要な一つのステップであり、必然だったと思う。
私は、これでよいと思っている。
いまさらジタバタしても始まらない。
町村派も自民党もこれを幸い、大きく変身することである。
すべては、森元総理の判断ミス、手順前後に原因がある。
政界の舞台裏に通暁し、登場人物の性格や人柄を熟知して要領よく政治の流れを読み解いてくれる森元総理は政界きっての座談の名手であり、私は多くのことを森元総理の話から学んだ。
森派・町村派の全盛時代に森派・町村派に席を置いていたということは、私の貴重な財産である。
だからこそ、私は森元総理の手順前後がよく見える。
やはり、自民党の今日の凋落の遠因は、小泉総理の後の総理・総裁の選出過程にあったと思う。
森元総理の本心は、小泉総理の後継候補には森派から福田氏を担ぎ出すことにあったはずだ。
安倍さんはまだ早い、もう少し修行を積んでから。
総理経験者として森元総理がそのように考え、その線で自民党の各派閥の幹部の了解を取ろうと動いていた形跡がある。
それを、自民党の、当時衆議院当選3回生の血気盛んな若手集団が安倍擁立に走って潰してしまった。
私は、当時クローニンの会の事務局長を務め、クローニンの会の会長に福田氏を推した一人で、どちらかというと福田氏側に近かったが、そういう自分の立ち位置を離れて、安倍氏の経験不足を危惧していた。
おそらくその時点では、森元総理の判断は間違っていなかったはず。
ところが、森元総理が変節(変説が相応しいか。)してしまった。
福田さんが降りざるを得ない状況を作ってしまったのである。
その後の自民党の苦難の道は、ここから始まっている。
森元総理の判断ミス、手順前後は、中川秀直氏を清和政策研究会(旧森派)の代表世話人から無理に外そうとしたことにも表れている。
私は、森元総理が中川外しを派閥の総会の席上で宣言しようとしているらしいとの話を聞いて、派閥の総会の席上であえて発言を求め、森元総理に自重を求めたことがある。
私の外にも何人もの議員が発言を求め、30分以上も議論が続いた。
森元総理はやおら立ち上がって、「皆はよってたかって俺に発言をさせないようにしているようだが、あえて発言する。」。
そう言って、森元総理の独演会が始まった。
延々1時間にも及んだだろうか。
途中で退席する人もいたが、派閥のオーナーである森元総理がそこまでやると、一人や二人の力では流れを変えることは出来ない。
これで清和政策研究会は、3人の代表世話人制から町村派に変わることになった。
すべては森元総理の判断ミス、手順前後に端を発している。
余りにも若手の意見を軽視し、かつ手順を疎かにしたために若手が反発を強めている、ということをご存じなかったらしい。
教師としても反面教師としても素晴らしい政治家であることは間違いないが、今日の結果はすべてご自分が種を蒔いた結果である。