雑念を取り除く方法 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

一心不乱に修行している人の妨げになりそうなのが、雑念であり、雑音だろう。


ギリシャ神話にもあったが、自分を呼びかける声に答えようとうっかり後ろを振り返ると、そこで石になってしまう。

絶対に振り返ってはいけない、と釘を刺されていたのに、自分に熱心に呼びかける声にいつまでも知らん振りを決め込むのは難しく、つい後ろを振り向いてしまうのが、私たちだ。


意思の力で振り向かないことにしていても、どうしても振り向いてしまう。


私の新しい戦いの一つは、どうして自分の集中力を高めるか、念の力を強くするかである。

雑念を取り払うために、暫く雑音に耳を傾けない、という試みを始めることにした。

コメント欄に寄せられる皆さんのコメントを雑音などと言えば、大変なお叱りを蒙るところだが、誤解と錯覚、思い込みで理路整然と独特の議論を展開されると、これは雑念の元。

雑念から解放されるために、あえて耳を塞いでみる。


毎日一定時間、一つのことを繰り返してみる。


私にはまだそういう習慣はないが、一心不乱にお経を読んだり、お祈りをしたり、というのは、そういうことではないか。

間違った考えに取り憑かれていれば、その間違った考えに雁字搦めに取り込まれてしまうのかもしれない。

正しい方向に向けて一心不乱に修行していれば、とんでもない高僧、聖人の域に達するのかも知れない。

いい結果になるか、それともとんでもない悪い結果になるか。

やってみなければ分からないことである。


ほんの1週間だけ、自分だけの世界に浸りきってみる。

何か面白そうだ。


もっとも、ほら、逃げた、と早速からかってくる人がいるから、雑音に耳を傾けない、雑念を取り払うということは簡単ではない。