政治家は皆、ある程度社会主義的傾向がある。
自分だけよければいい、という超個人主義者が政治家になろうということ自体がどこかおかしい。
天下国家を弁ずれば国家主義ということになり、市民社会を熱く語れば市民社会主義ということになる。
菅総理は完全な市民社会主義者なのだろう。
どちらかと言えばノンポリ的市民社会主義者。
一方、菅内閣の女房役の仙谷官房長官には、未だにどこか革命的学生運動型社会主義の風貌がある。
旧社会党に源流がある政治家が菅内閣の政務三役には多数いるようだから、現在の菅内閣は社会主義の色合いが強い内閣だと言ってよい。
私は、どちらかと言うと、自由社会主義的傾向が強い。
政治家として公共の利益を常に考えるが、個人の自由を抑制するようなことには断固反対。
規制は出来るだけ少なくした方がいい、という立場だが、個人の権利・利益・尊厳・名誉・自由を護るために必要な規制についてはこれを適正なルールに基づいて推進すべし、という立場である。
行政の肥大化や恣意的な権力の行使は、あらゆる知恵を駆使してこれを事前に抑止したいと念願している。
個人の自由を最大限に尊重する社会主義、とでも言おうか。
社会主義と過剰な国家権力が結びつくと国家社会主義になる。
これが、私の基本認識である。
国家が個人に国家の価値観を押し付け、個人の自由を抑圧する。
そういう社会にしてはならないと考えている。
小沢氏は、大変な権力志向主義者であった。
自分に反対する人の存在を許さないようなところがあった。
自由主義、個人主義を標榜するようで、実は国家主義的傾向があり、権力による統制を力尽くで押し通そうとするところがあったので、私は一貫して小沢的なるものに対して反対の意思を示してきた。
幸い、市民社会主義者の菅総理と国家主義者の小沢氏による一枚岩的な国家運営の根はどうにか断ち切られたようであるが、まだまだ油断は出来ないと思っている。
今日の参議院選挙の結果が、明日の私たちの生活を決める。
今日一日、国民の皆様がどういう選択をされるか、私は、まさに固唾を呑んで見守っているところである。