私は、自分が雑草だと思っている。
奨学金を貰い、アルバイトをしながらどうにか学業を終えたのだから、少なくともエリートといわれる家系とは縁が薄い。
雑草には、確かに洗練されたところは少ない。
しかし、雑草だからと言って馬鹿にしていると、大きな間違いを起こす。
雑草の生命力はなかなかのものだ。
雑草の一本一本には飾り立てるような魅力はなくとも、雑草が生え茂るところは土壌が豊かである。
特別の肥料が無くとも、自然に育つ。
私は、これからは雑草を育てることに専念したい。
(民主党の国会議員の中にも雑草みたいな人が大勢いることを改めて知った。
時代が雑草みたいな政治家を求める時代になったのだろう。
自民党の中の雑草がぐんと減ってしまいバランスが悪くなってしまったが、私は、与野党を問わず。これからは専ら雑草の動きを注目していくつもりだ。
もっとも、雑草を育てる、とは言うものの、雑草ばかりで稲が育たない、などと言われないよう、雑草を育てる場所には余程注意しなければならないが。)