ここは、麻生総理の決断にかかっている。
この問題を自分の内閣で解決するために、総理は総選挙の時期を選ばれたに違いない。
私は、そう思っている。
これが実現したら、麻生総理は実に大きな仕事を成し遂げたことになる。
かねてから私が願ってきたことだが、この段階に来て急速に事態が動き始めた。
この一両日にも原爆症訴訟問題について総理から最終解決に向けての方針が示されるようである。
高度の政治的決断を要することである。
一審裁判所の判決結果を受け容れて、厚生労働大臣が原爆症の認定処分を行うのがいいのか、それとも一審判決結果を国が受け容れて控訴を取り下げ、一審判決を確定する方法がいいのか。
どちらでもいいようなものだが、担当の役所限りでは判断できないような類の問題である。
ここは、総理大臣が方針を明示されればそれで足りる話。
理屈付け、理論付けはどうにでも出来る。
政治家としての総理の決断の問題である。
断固として行えば鬼神も畏れるのが、総理の決断。
明日の広島原爆忌には、総理から被爆者の方々に温かい言葉がかけられることを切望している。
そして、核のない世界を実現するために日本が力強く歩みだすことを、高らかに宣言していただきたい。
もう一つの、総理にしか出来ない決断が、靖国参拝である。
総理を辞められてから参拝されても、殆ど何の意味もないだろう。
今だからこそ意味がある。
これが、総理としての靖国参拝である。
非戦国家に向けて新たな歩みを始めるという強い決意と、日本という国に殉じ、日本という国を信じて散華された戦士の方々や遺族の方々への弔意と鎮魂の祈りを、国民の前に示していただきたい。
これからは、総理たらんとする政治家は、皆、せめて靖国には参拝していただきたい。
靖国参拝に強い精神的抵抗感を持っている人には、おそらく国家の指導者の役割は務まるまい。
さて、鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏はこれまで靖国参拝をしたことがあるのだろうか。