ある意味でよかった、と思う反面、正直がっかりしている。
8月30日の投票日を予告したのは、私がかねて予告していたとおりなので納得しているが、7月21日に解散する、というのは思慮が足りない。
総裁選挙の前倒しから自分の身を守るために、あえて解散の日を予告したのだとしたら、姑息だ。
両院議員総会でもなんでも受けて立つ位の横綱相撲でなければ、とても人の共感は得られない。
私はそう思っている。
東京都議会議員選挙で私たちは知ったはずだ。
選挙は、どんな仕事をしたのか、の成績評価ではないということを。
これから何をやろうとしているのか。
期待していいのか。
任せていいのか。
すなわち、未知の、候補者の可能性を競うのが、選挙。
勿論、既存のもの,既成のものに対する有権者の不満の表明、あるいは拒否権の発動という側面もある。
自民党に対して東京都民の拒否権が発動された選挙の直後に、解散を言い立てるのは実に不謹慎だ。
これから何をなそうとしているのかを自分の言葉で熱く語ってこそ、はじめて出陣できる。
私たちは、単に一政権の延命のために存在しているわけではない。
それぞれが、自分の人生を懸けてこの政治の世界、修羅の世界に飛び込んだのだ。
理想を語って、敗れることは厭わない。
しかし、何も語らず、何のために政治の世界に身を投じたのかの意義を自ら実感できないままに、不本意の内に戦いを終えるのは困る。
不完全燃焼は、有毒なガスをあちこちに撒き散らす。