ほんの少しだけ先を歩かせて貰います | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

おはようございます。


私は自分個人の利害を超越しているせいか、ほんの少し、時代を先取りするようです。

これまでの動きを考えるとこうなるはずだ、こうしなければならない。

誰も動かないのなら、まず自分が突破口を開いておこう。

巧遅よりも拙速、議論倒れよりもまず行動、というところでしょうか。


私自身が弁護士会の中では少し変わった存在だったかな、と思っております。


法律事務所の法人化は、どうしても実現しなければならないだろう。

そう思っておりました。

現実には法律事務所法人化への道は開いておりませんでした。

そこで行ったのは、事務局メンバーを会社員とする会社を設立し、法律事務所の経営弁護士がその会社の代表取締役に就任する、という事務局法人化でした。


当時は、会社の代表取締役に就任するためには、弁護士会の常議員会の営業許可が必要でした。

常議員会では早川問題小委員会を立ち上げ、2年間にわたって議論を続けました。

何か早川が問題を起こしたかのような取り上げ方でしたが、「早川問題小委員会」という弁護士会の委員会が正式に設けられたのです。


初年度の小委員会では営業許可を認めるべきだという結論に達したようですが、当時の常議員会の最終結論は結論保留で、次年度の常議員会に先送りとなりました。

そして、翌年度の常議員会で結局私の営業許可申請は不許可ということになりました。


しかし、法律事務所そのものの法人化を検討すべき、という大議論に発展したのです。


私の所属する法友会や法友全期会の弁護士業務委員会で法律事務所法人化問題を取り上げ、法人化問題についての研究会を開催することになりました。

当時、法務省の司法法制部の部長などとも意見交換をした覚えがあります。

その後私は、東京弁護士会の弁護士業務改革委員会の委員長に就任し、弁護士業務改革大綱(案)なども提案致し、その中でも法律事務所の法人化問題も取り上げました。

関東弁護士会連合会等でも段々大きな議論となっていったようです。


法律事務所の法人化が実現したのは、私が弁護士会の会務から離れて国政選挙に出るようになってからです。

法律事務所の法人化を提唱してから、10年以上かかったのではないでしょうか。


被疑者国選弁護士制度の提唱をしたのは、私が法友全期会の代表幹事を務めていた平成元年のことです。

まずは当番弁護士制度を実現しよう、当番弁護士への登録希望者を募ろう、ということを決めました。

法友全期会創立10周年記念事業の一環として「被疑者国選弁護の実現に向けて」という宣言を確定し、対外的に当番弁護士制度に取り組むことを表明しました。

実際に提言の取り纏めをしてくれたのは、日弁連接見交通実行委員会の中心メンバーの竹ノ内明弁護士や現在東京弁護士会の副会長を務めている篠塚力弁護士などの中堅・若手の弁護士ですが、弁護士会の中では当時から画期的な提言だと評価されていたと思います。


しかし、当番弁護士制度が実現するまでにはそれから数年かかり、国選被疑者弁護人制度が実現するまでには、約20年かかっております。

一部既に実現しておりましたが、いよいよ今月の21日から全面的に国選による被疑者弁護人制度が実施されます。


冤罪の被害をなくさなければならない。

無実の人が弁護士の助力が得られないままに虚偽の自白を強いられ、誤った裁判が罷り通るような事態は、なんとしても防がなければならない。

そういう思いで、若い弁護士が声を上げたのです。


弁護士会の最大会派である法友会の中核を占めていた若手弁護士グループの法友全期会が声を上げたことが、今日の成果に結びついている、と思っております。

このように。私は、ほんの少しだけ、先を歩かせていただいております。


私は、東京弁護士会の副会長を務めていた平成15年の10月10日(衆議院の解散当日)に立候補要請があり、即日弁護士会の役員を辞任致しました。

弁護士会の役員有給制を実現し、次年度の役員から弁護士会が役員に給与を支払う、という改正を実現したばかりでした。

今振り返って考えてみても、実に無謀で、かつ無責任だと批判されても仕方がないようなことをしてしまいました。

しかし、私としては止むに止まれぬ思いだったのです。

まさに、清水の舞台から飛び降りてしまいました。

これが良かったのか悪かったのかまだ結果は出ておりませんが、国会議員になってからは、確かに私の提言が実現するスピードが速くなりました。


犯罪被害者基本法の実現まで約1年。

オウム犯罪被害者支援法の実現にも約1年。

公訴時効の延長・廃止問題については現在検討中ですが、おそらく1年以内には結果が出るのではないでしょうか。


そして、政界再編の必要性をこのブログで打ち上げてから約1年が過ぎました。


これからは、具体的にどうするか、ということが課題です。

これまでは民主党の参議院議員の方々の蹶起を促してきましたが、当てに出来ないことが判明しました。

それなら、麻生総理に頑張って貰おう。

そう、思っております。


一見不可能のように思えます。

しかし、衆議院選挙後の日本の政治をどうやって担うか、ということを真剣に考えれば考えるほど、政界の再編は不可避です。

誰が音頭を取るか。

今は、音頭を取れる人がいないので、私が声を上げているのです。


さて、それではどうするか。

現在、与野党でマニフェストの作成準備に取りかかっているはずです。

マニフェストは政権選択のための政権公約だと、皆さん思っております。

私は、今回は、そうではないと思っております。


政権協議のための、政権公約。

私は、そう思っております。

衆議院選挙が終わった後に新しい政権を作り上げるための政策の枠組みを示す。

これが必要です。

いずれにしても、今回の衆議院選挙の結果はそうなるでしょう。


だから、私はほんの少しだけ先を歩ませていただきます。


なるべく同じ階層を代表している、同じような資質の国会議員を結集しうる政策。

近い将来の中選挙区制への移行を視野に入れての、政権公約。

これを作りたいと思っております。


かつて、衆議院を150の小選挙区にして、1選挙区の定員を3とする、ということを提案してみました。

有権者は、一度の選挙で2票投票できるようになると面白い、とも言いました。

しかし、現実には300の小選挙区を半分の150の統合するなり、組み替えるというのは大変な作業です。


それなら、300の選挙区にして、定員は2とし、比例区は廃止する。

参議院議員の定数は100とし、半数ごとの改選とする。

来年の参議院選挙にあわせて衆議院選挙も実施することとし、来年の同日委選挙には衆議院議員600人,参議院議員50人を選出する。


これでは如何でしょうか。

こうすれば、全体として国会議員の定数を削減でき、同時に衆議院と参議院のねじれも解消できる。

選挙区の調整が出来ないため政界再編が進まないはず、という思い込みは、これで解消。

参議院の全国比例は廃止することで、特定団体の代表者が参議院を牛耳る、という事態も多分解消に向かう。


私は、衆議院選挙が終わったら、与野党を問わず、勝ち残った人たちの間で新しい政権を作るための政権協議、政策協議を進めるべきである、と考えております。

その時になったのでは、少々遅い。

今のうちから、新たな政治結集の枠組みを作るべきである。


私は、そう思っております。


現在の小選挙区制度では選挙区が重複するために、対立する候補者が一つの政権に参加することは出来ない。

連立は不可能だ。
そういう思い込みを打破しなければなりません。

300の小選挙区で複数の議員を送り出す、中選挙区選挙に変えればいい。

それが私の新しい提案です。

その見返りに参議院の定数を削減する。

衆議院の定数が増えるので、削減される参議院議員は衆議院選挙に立候補すればいい。

参議院議員の任期は6年なので、6年かけてこの改革を実現すればいい。

そうすれば、現職の参議院議員の不満も最小限に止まり、おそらく参議院の抜本改革にも繋がる。


まあ、頭の体操の一つです。

私は、思いきった政治改革を実現する絶好のチャンスが今、来ているように思います。


如何でしょうか。

皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。