誰がこの井戸を掘った | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

今月の18日にオウム被害者救済法が施行された。


地下鉄サリン事件の被害者である高橋しずえさんや宇都宮健児弁護士の写真が新聞に掲載されているが、この法律の立案作業を行った私や、元々の提案者の中村裕二弁護士の名前はどこにも出てこない。

法律の広場という冊子が法案の策定過程に言及しているが、事実でないことを推測で書いている。

解説を書いた法務省の担当者は、本当のことを知らない。


政府の刊行物であっても必ずしも事実を書いていない、ということを身をもって知った。


マスコミも関係者も、簡単に井戸を掘った人のことを忘れてしまう。

そんなものか。

そんなものさ。

そう自問自答しながら、後日のために事実を記しておく。


全ては、地下鉄サリン事件弁護団の事務局長を務めた中村裕二弁護士の地道な活動の成果である。


勿論、弁護団長を務めた宇都宮弁護士や破産管財人の阿部三郎弁護士などの存在も大きい。

しかし、今回の立法については、弁護団事務局長の中村弁護士がご自分の私案をオウム被害者に対する救済法案要綱案という形にし、その提案を地下鉄サリン事件被害者集会で発表した、ということが格段に大きい。


たまたま私が地下鉄サリン事件被害者の集会に参加し、中村弁護士の提案に目が留まった、という切っ掛けがなければ、自民党の内部から地下鉄サリン事件被害者救済法の提案がなされることはなかった。


犯罪被害者基本計画の着実な推進を図るプロジェクトチームの初代の座長は、上川陽子元少子化担当国務大臣である。

上川議員が国務大臣に就任されたため、それまで法律の専門家としてこのプロジェクトチームに一貫して参加してきた私がその後の座長に就任した。

オウム被害者救済法案について取り上げることが出来た背景には、こんな偶然がある。


中村弁護士の提案を基礎に衆議院法制局に法案の考え方に関する座長私案を起案して貰った。

その頃民主党では長島議員や小宮山議員がこの問題について深い関心を寄せ、超党派で何らかの議員立法を提案しなければならない、という認識を共有した。

しかし、現実には民主党の中ではこうした問題について具体的な検討が出来るスタッフがいなかったようで、私が知る限り「言うだけ」の状態だった。


一方、自民党では私の下で法案の立案作業をどんどん進めていった。

その立案過程で作成した一つの法案要綱に民主党の枝野幸男氏が興味を持ったようだ。


しかし、自民党の検討の過程で、当初検討した私の座長私案は、救済対象者を破産債権届け出をした被害者に限定しているという問題があり、しかも破産債権の肩代わりを国がするような法案は実現困難、という見解が有力となった。

そこで、それまでの案はA案とし、さらにB案を作成することになった。

このB案作成の原動力になったのが、笹川堯当時の議運委員長。

笹川委員長がいなければ、この法律が成立することはなかった。


その後の調整は笹川委員長を中心に、私と公明党の大口議員等の間で進めた。

民主党では、私が最初に自民党の中での検討材料として提示した当初の案を法案としてそのまま提出。

枝野議員以外に民主党の法案について説明したり、調整のための議論に参加できる人がいなかった。


これが実情である。


民主党の抱える問題がここにある。

明らかに底が浅い。

政権を担うだけの人材が、どこにもいない。

人材の層がまだまだ薄い。

たった一人の素朴なアイデアが、何らの問題点の検討や制度としての実現可能性等についての検証もされることなく、民主党の政策にそのまま格上げされてしまう危険性が大きい、ということである。


私の当初の案は中村弁護士の提案を柱にしたもの。

その未熟なところをみんなで叩いて仕上げたのが、18日に施行されたオウム被害者支援法である。


私は、確かに井戸を掘った。

しかし、そのことを知る人は誰もいない。