誰かが旗を立てるのを待つのではなく、自ら行動したら如何か。
そういうコメントを頂戴した。
国会議員が自分の名前を明らかにしてブログを書き、皆さんの意見交換の場を用意している。
今や国会議員の秘書や党の職員のみならず、マスコミ関係者や政府の職員も覗きに来ている。
自分の勝手な思いをぐだぐだ書き連ねているだけではないか、という批判もあるかも知れないが、自民党の現職の国会議員としての立場を弁えながら、それでも、そこまで言うか、といった内容を書いている。
これが、目下私に許された戦いの方法である。
決して行動していないわけではない。
心ある同志の蹶起を促し続けている、と言った方が良いだろう。
田母神空幕長が更迭されることになった。
民間企業の懸賞論文に、「我が国が侵略国家だった、というのはぬれぎぬ」と主張する論文を投稿し、明らかにこれまでの政府の公式見解を批判し、これと真正面から対決する姿勢を示したことが、航空自衛隊のトップとして相応しくない、と判断されたのだと思う。
公務員の思想信条の自由、言論の自由をどう捉えるべきか、自衛隊の幹部職員は政府の公式見解と異なったことは一切口に出してはならないのか、上司が誤っていることが明らかなときにも一切部下は上司に自分の意見を表明したり、外に向けて自分の個人的見解を表明してはならないのか、といった問題がある。
そういう問題が伏在することを認識した上で、今回の更迭は当然の措置だと私は思っている。
田母神空幕長は、それなりの信念に基づいて論文を発表したのだと思う。
職を賭しても自分の日頃の考えを明らかにしたくなった、ということだ。
これが空幕長として出来るギリギリの行動だったろう。
論文には幾つかの誤りがあると識者から指摘されており、私自身の論文の内容にわたる意見は差し控えるが、これが行動だと思っている。
政治家が実名でブログを書く。
これも戦いの一つである。