再審が認められるべき/袴田巌日記を読んで | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

「チャンは、決して本件の真犯人ではない。チャンが今まなじりを決して一歩一歩進んでいる道は正義で唯一のものであり、今生の人間の尊厳を守る正しいことであるがゆえに、わが息子であるお前も父を理解しなければならないのだ。

とは言っても、この身捕らえられたゆえとはしても、お前を育てることもできなかったこの父を無条件で信じなければならないなどと無理強いする考えは毛頭ない。

だがお前は私の息子であった。血を分けた親子の間柄である以上、父が直面している社会的状況と厳格な歴史の事実を凝視し、清く正義に立たねばならない。」


「お前は、この世に生まれて間もなく世の荒波にさらされた。世間の酷と厳しさを体で知るために生まれた一つの悲しい星だ。だからお前をはぐくんでくれた暖かいお婆さんの心と学園だけがお前の学びの場であったと思ってはならない。

差別を持って罪なき人間を縛っているこの世代の誤解のなか、お前も一度だけ来たことのあるかんごくのほこりと汗まみれのなかで、不断に身悶えているチャンの生命、その生命の尊厳は何であり、その最大の願いは何であり、今日どのように打ち砕かれているか、あるいは今後はどのように実を結ぼうとしているのか、どのように花咲かせ実を結ばせなければならないか、こうした課題、問題意識を袴田巌を救う会並びに袴田巌救援会の現実からくみ取っていかねばならない。

そしてこれと真っ向から取り組んで生き貫く人生こそ、人間として偉大さの成就が保証されるのである。

私は今度の濡衣でお前の面倒をみてやることができなかった。

本当にすまなく、悔しくてならない。今も痛烈な無念で肌あわだっている。

そして誤判による死刑判決という恐るべき呪われた姿で、緊張と危機にさらされた哀れな市民の姿をお前に直接みせたという点においては、これこそ父たる私が全身全霊で示すことが、唯一最大の教育ではなかったか?」


1988年11月23日に発行された「獄中の祈りー無実の死刑囚、袴田巌の日記より-」の一節である。

書き写しながら、涙が溢れてくるのを抑えられなかった。


上記は、1982年12月19日の袴田死刑囚の日記の一部である。

今から16年前に、こんなにも必死の叫びを上げていた死刑囚がいた、ということをこれまで知らなかった。


無実の罪で監獄に囚われの身にあることの不条理に身悶えしながら、なお父親としての矜恃を保ち、これ以上ない逆境の中でこれからどう生きるべきかを自分の息子に懸命に伝えようとしている。


この日記を読んで、これが全くの作り話だなどと思う人がいるのだろうか。


先日開催された日本の司法を考える会で、袴田巌死刑囚の再審請求を進めている支援グループの代表から話をお聞きし、途中他の会議出席のため退席しようとしたときに、このリーフレットを渡された。


袴田巌死刑囚は、1936年生まれ。現在72歳で、今なお東京拘置所に在監中である。


1957年静岡国体で活躍し、1957年にプロボクサーとなり、1961年にはフェザー級で6位にランクされたが健康を害し、清水市に戻り再起を期していた選手である。

1966年に発生した勤務先の清水こがね味噌社長一家殺害事件の嫌疑をかけられ、袴田氏は、連日長時間の取り調べと拷問を受け、控訴期限ぎりぎりに自白調書が取られ、起訴されるに至っている。


袴田被告は公判廷では起訴事実を全面否認し、以後一貫して無実を訴えてきた。

しかし、1968年に静岡地裁は、検察調書45通の内44通については任意性がないとして証拠採用を排斥し、1通だけを証拠として採用したうえで、袴田被告に死刑判決を出している。

その静岡地裁の判決がその後の高裁、最高裁の審理で覆されることがないまま、死刑判決が確定したのである。


上記の日記は、1980年に死刑判決が確定した2年後の手記である。

袴田氏が逮捕され、収監されてから、既にその当時16年が経過していた。


今春、袴田死刑囚の再審請求を棄却する決定が出された。

支援グループの代表の話では、現在第二次再審請求に向けての準備を始めている、ということであった。


袴田氏の日記の一部を読み、第一審の裁判官であった弁護士の告白を新聞報道で知り、さらに一審判決の補足的に記載されている警察での取り調べの違法性を知るにつけ、この事件については再審が認められなければ、私たちは、著しく正義に反することを行っていることになる。


そういう思いに駆られるようになった。

このことを取り急ぎ記録に残しておきたい。