どうしてもこのことには触れておかなければなるまい。
昨日、元参議院議員の村上正邦氏が東京高検に出頭し、収監された。
私が平成8年の衆議院議員選挙に自民党公認で初めて立候補した当時、自民党参議院の幹事長としてその辣腕振りが評価され、尊師とか参議院のドンと言われていた有力政治家であった。
政治の世界の右も左も分からない私にとっては余りにも重く、遠い存在だったが、私の選挙区に住んでおられるということで親しく指導していただいた。
その村上氏が平成8年の1月25日参議院の本会議でした「ものづくり大学の推進」についての代表質問が、KSDの古関氏の要請に基づくものであり、その代表質問の見返りとして、KSDは平成8年6月以降の村上議員の個人事務所の賃料の負担をし、さらに同年10月に衆議院選挙の直前に5000万円を提供した、というのが今回実刑判決が確定した収賄刑事事件の中身である。
そもそも自民党を代表して行う代表質問の内容が一個人の個人的な要請に基づくものである、という認定自体がおかしい。
代表質問の具体的内容についての依頼が明確でないのに、あたかも、ものづくり大学について代表質問で取り上げてください、と具体的に依頼があった、という認定がおかしい。
代表質問の前に何らかの見返りの約束がなされた、というのであれば理解できるが、そのような明確な事実がないのに、代表質問から数ヵ月後に行われた事務所賃料の立替え等を代表質問に対する謝礼であり、収賄に当たる、というのがおかしい。
私は、村上氏からご自分の被告事件について弁護士としての意見を求められる都度、そのように述べてきた。
KSDの古関氏は背任横領の嫌疑をかけられており、その取調べの最後の段階で、村上氏に対する贈収賄事件について供述を求められている。
その古関氏は、捜査段階や一審を通じて「請諾」の事実を証言していた。
これが村上氏の刑事事件を立件する根拠となり、また裁判所が有罪判決を出す証拠となった。
しかし、古関氏は、二審の東京高裁では、自分の刑を軽くしてもらうために取り調べ検察官が求めるとおりの供述をしたものであって、何らの「請諾」もしていない、捜査段階や一審での証言は間違いである、とそれまでの証言を覆すに至っている。
もしこの古関新証言が正しければ、村上被告に対する刑事裁判は根拠を失うことになる。
それほど重要な新証言だった。
法廷での新証言と、密室での供述を取調官が記録した供述調書や原審での旧証言のどちらの方に信用性があるか。
そういう問題になる。
裁判所は、法廷での新証言よりも供述調書の記載や原審での証言の方に軍配を上げた。
法廷では承認は被告人に遠慮して真実を語らない。
取調べの段階で作成された調書の方がより信用できる。
新しい証言よりも、記憶のまだ新しい段階での証言の方が信用できる。
そういう思い込みがあるようだ。
私たちは残念ながらこれ以上真相を知ることは出来ない。
古関氏に直接確かめたいところだが、古関氏は既に亡くなっており、古関氏から直接話を伺うことも出来ない。
裁判所は、結局古関氏の捜査段階の供述証書の信用性と一審での証言を採用し、村上氏に対する有罪の実刑判決が確定した。
昨日、その村上氏の刑務所に収監される直前の送り出しの会があったのである。
村上氏は、今でも自分は無罪である、と訴えている。
自分自身に対する取り調べや古関氏に対する取り調べはおかしいと訴えている。
何が何でも自分を有罪にするために、予め検察官がストーリーを作り、このストーリーにあわせた証拠だけを作出しようとする捜査はおかしい、と訴えている。
村上氏は自分の体験に基づいて、取り調べの全面的な可視化を訴えている。
さらには、日本の司法のあり方について、これでいいのか、と根本的な疑問を投げかけ、「日本の司法を考える会」を立ち上げた。
刑事の被告人が、刑事司法の改革を訴える改革の旗手となったのである。
その姿は、明治維新の先駆けを担った吉田松陰を彷彿とさせる。
ここでこの裁判の正否を問うことは出来ない。
被告の立場から見た正義と裁判所から見た正義が異なるからといって、第三者の立場ではそのいずれが正しいとはとうてい判断できないからである。
ただ、刑事裁判の被告人となり、実刑判決を受け、服役しなければならないという大逆境の中で、自分に課せられた運命の過酷さに真正面から向き合いながら、なおかつ、顔を上げ、胸をそらし、確信をもって日本の刑事裁判制度の改革に自ら先頭を切って挑もうとするその姿は、まさに尊師の名にふさわしい。
私は、後日のために、このことだけは記しておきたい。
毀誉褒貶に惑わされず、真実を求める。
その時々の利害得失に左右されず、正義を貫く。
強者に阿ることなく、弱者にも媚びない。
私はそういう人たちの仲間でありたい。
村上氏を送る会には、あの平沼氏や亀井氏、鈴木宗男氏、西村真悟氏、城内氏、中曽根弘文氏らの顔も見えた。
皆、党派も思想信条も違い、これから歩む道筋もそれぞれに異なるが、義理人情に厚く、国を憂うる志である、という共通項がある。