これまで5回の国政選挙を戦った。
国政選挙に挑戦、とかっこよく書こうかと思ったが、やっぱり「戦い」が相応しい。
選挙はいつも血みどろの戦いである。
綺麗事など通用しない世界だ。
止めどもないお金と労力を費やし、あらゆる人脈、地縁、血縁を動員しての、いつ果てるとも知れない戦い。
それが現実の選挙である。
やはり山口2区の衆議院補欠選挙が気がかりである。
選挙に慣れ親しんだ人々は、戦いが激しければ激しいほど燃える。
選挙に勝利するために、あらゆる手段を駆使する。
しかし、はじめて選挙を経験する者にとっては、驚くことばかり。
こんなことなら手を上げなければ良かった、そう思う瞬間があるはずだ。
特に選挙に駆り出されるご家族やご親族のご心労は、如何ばかりか。
こんな激しい逆風の中で必死に戦っている自民党公認の候補者に心からエールを送りたい。
貴方が名乗りを上げてくれなければ、誰かが貴方の代わりにこの苦しい戦いを引き受けざるを得なかった。
この困難な時期に手を上げてくれた貴方は、平成の志士の一人だ。
ありがとう。
そう遠くから声をかけたい。
さて、選挙にかけるお金やエネルギーのほんの僅かでよいから、本来の政治家の仕事にかければこの国は良くなるのだが、現実には殆どの政治家には出来ない相談である。
止めどもない消耗戦を繰り返しているのが現実である。
私の場合は、国政選挙挑戦4度目でようやく国政での活動の場を獲得し、初志を貫徹できたから辛うじて人生のバランス、帳尻が合うようになったが、大抵の人にとって選挙に出てバランスをとることは難しいのではないか。
様々な職業の中で、政治家という職業ほど生産性の乏しいものはない。
つくづくそう思う。
どんなに努力し、さらにはどんなに労力やお金を注ぎ込んでも、その見返りはまったくない。
営々と積み上げてきた努力が、恒久的減税や神の国発言で一瞬に崩壊する現場にも何度か遭遇してきた。
そんな政治の世界に、なんで早川君は飛び込んだのか。
敬愛する恩師が私にそう問いかけるのは、それだけ恩師が政治の実相をよくご存知だということだろう。
私のことをよく知っている仲間は、それが私の少年時代からの夢であることを知っている。
政治家になる。
それが、少年の心に大きな夢と希望をもたらす時代が、かつてあったのだ。
選挙区に地盤、看板、カバンがない私が、現にこうして衆議院議員として縦横無尽に活躍する場を与えられている。
これこそが、私たちが長年求めてきた民主主義の姿ではなかったか。
少年時代から培ってきた志を実現するために、今こうして政治の世界にいる。
政治に対する憧れが、こうして私を政治の世界に導いてきた。
それが、恩師の問いに対する私の答えである。