早川君はなんで政治家なんかになったの。
昨日ニューオータニの会員制クラブの会議室を借り切って開催された西高16期同期会での恩師の一言である。
御年84歳になられた平山良吉先生は、西高の英語の教師だった。
「いやだ、いやだ。いやだ。」
教室に入って開口一番そう言われた。
頭をふりふりしながら、ぼやくように授業を進めるが、生徒の心を虜にするような見事な言葉が次々に平山先生の口から発された。
当時売れっ子作家の梶山某という俗文小説家が平山先生の友人の一人だったようで、ひょっとしたら平山先生も文筆家の一人だったのかもしれない。
低俗で、文章の粗が目立つ英語の翻訳を見るのが堪えられない、という風情であった。
私は1年の時に授業を受けただけだが、生徒の脳裏に焼け付くような強烈な印象を残す名物教師だった。
そんな名物教師が当時の西高には多かった。
その平山先生が、私になぜ高い収入を得られる弁護士を辞めて、俗悪な政治の世界に入り込んでしまったのか、そういう質問である。
弁護士が皆高い収入を得られるわけではない、ということや、政治の世界が決して俗悪でもなく、政治家も決して低俗な種族ではないことを十分承知していながら、あえてそんな質問をされるとことが、ちょっと斜に構えながら世間を観察されている先生の特徴だ。
さて、この問いにどう答えればいいだろうか。
(その答えは、これからの私の歩みそのもので示すほかない。
政治家なんかに、という問いが、日本の政治家に対する現在の国民の率直な評価だろう。
政治家なんかに、という問いが、少なくとも、政治家に、という問いになるように努力して参りたい。)
早川君、成績良かったよね。
ええ。ほどほどでした。
そう答えたが、確かに英語の試験では、先生の記憶に残るような成績を上げたこともある。
私たちが卒業したのが昭和39年だから実に44年の歳月が流れているが、当時の生徒のことを今でも覚えておられるというのは、すごい。
私が卒業した都立西高は、そんな名物教師を輩出した、すばらしい学校だった。
世界史の菅野哲治先生、化学の仲下雄久先生、生物の柴山文雄先生も出席された。
皆西高での在籍歴が20年以上になる先生方だ。
代表幹事を務めてくれた小野和彦君が、「いよいよ後期高齢者保険制度がスタートしたが、今日出席いただいた恩師の先生方は、「高貴」高齢者の先生方です。」
そう挨拶してくれた。
同期生は101名参加した。
皆母校を愛し、互いを慈しみあっている大事な仲間である。
こういう学校で学べたことが、ありがたい。
こういう学舎を全国に残すことが、私の願いである。