昨日の午後8時過ぎに、民主党が田波耕治国際協力銀行総裁の日銀総裁案に不同意の方針を決定した、というニュースが飛び込んだ。
大蔵省の次官経験者だから財政と金融の分離という基本方針にそぐわない、という理由だそうだ。
本人の人物、識見とは関わりが無い理由で不同意になると、残念ながら適材適所主義は実現しなくなる。
いわゆる財界人が中央銀行総裁に相応しいかというとそうでもない。
特定の経済団体の思惑や政策に引きづられて金融政策を決定されてしまえば、中央銀行の中立性、公正性、独立性などどこかに飛んでいってしまう。
財界人とは言いがたい一企業の現役の経営者になると、特定の企業の利益のために国の金融政策を決定するのではないか、という不信が常に付きまとうことになる。
その経営手腕に企業の存亡が懸かっている現役の有能な企業経営者が経営責任を放擲して中央銀行の総裁に就任し公のために奉仕する、そんなことが期待できるとは思えない。
結局、どの企業とも関わりが無く、経済の現場経験も無い有識者と呼ばれる一群の学者グループから選ばざるを得なくなる。
日本には沢山人材がいるはずだ、そう嘯く人がいるが、経済と金融政策に通暁し、国際社会でも十分通用するようなキャリアを持っている人は少ない。
その時々の政権とは一定の距離を置くことができ、世界の中央銀行の首脳と対等に協議ができ、自分の配下や民間企業経営者、官僚、経済財政の専門家からも評価され、尊敬さえされる、そんな人物は滅多にいるものではない。
まさか日本の中央銀行の総裁に外国の金融機関のトップを持ってくることもできまい。
竹中平蔵氏の名前を出したら、小泉構造改革で疲弊したと訴えてきた政治家たちが直ちに反対の声を上げるのは必至。
武藤氏もダメ、福井総裁の続投もダメ、田波氏もダメ、ということになったら、日銀の理事経験者や国立大学の学者の中から選ぶしかなくなる。
そんなことでいいのだろうか。
国民は、それでもいいというのだろうか。
これでは、衆議院の第一党である自民党は国会同意人事の提案権を事実上失い、参議院の第一党である民主党の言うがままにならざるを得なくなる。
政策に一貫性がなく、その時々に党首が言うことを変えても、責任を問われることがない民主党。
政府の足を引っ張るというときだけ足並みが揃うが、なにか仕上げようというときにはてんでバラバラな民主党。
そんな民主党の言いなりにならざるを得ない日本の将来は、暗い。
尻尾が頭を振り回す、今はそんな状態だ。
この状態を克服するためには、参議院の良識に待つほか無い。
最後の土壇場で、良識と良心が政治を動かしてくれるのを祈っている。