国民投票の成立で何が変わるか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

国民投票法が成立した。


憲法9条改正への道が開かれた、いよいよ日本は戦争への道を歩みだす、などと大げさに騒ぐ人たちがいるが、本当にそうだろうか。

私にはとても信じられない。


衆議院と参議院の両院で3分の2以上の賛成がなければ、憲法の改正の発議ができないということの重みをどのように受け止めているのだろうか。衆議院か参議院のどちらかで3分の1の議席があれば憲法改正の発議を阻止できるのだから、大多数の国民の意思に反して憲法の改正の発議がなされるなどということは、およそ考えられない。


国民は、戦争ができる国に日本がなることなど、およそ望んでいない。自分自身が戦争に行くことはもとより、周りの者が戦争に行くことも想定していない。

戦う意思も能力もない国民が、なんで憲法9条の大改正など考えるだろうか。


マスコミや野党の議員は、ことさらに大袈裟な物言いをしているようである。


最低投票率についての規定がないから、国民投票法には反対だ、などという意見もあった。しかし、衆議院と参議院の両院で3分の2以上の多数が憲法改正案に賛成し、これに基づいて憲法改正の発議をし、国民投票の結果投票者の過半数が賛成したのに、投票者の数が一定割合に達していなかったからその国民投票は無効だ、というのはおかしい。


国会だけで憲法の改正ができないようにするため国民投票を義務付けたもので、私は、国民投票は憲法改正に対する国民の拒否権の行使という性格のものであると思っている。


代議制を取るわが国において、国会が国権の最高機関と位置づけられている。その国会による憲法改正の発議について拒否権を行使するというのであれば、拒否権の行使は国民投票における明示の意思表示によってなされるべきある。


さらに、国民投票に最低投票率の制限を設けるということは、国民投票という本来の手段によらないで、投票ボイコットによって憲法改正を阻止する特別の手段を認めるということである。

憲法改正手続に求められる手続の中立性を損なうことになるのではないか。


どんな憲法改正論議をすることも自由だが、私は、自衛隊が憲法に違反するという議論を解消するために自衛隊の活動範囲を憲法に明記するのが限度であろうと予測している。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の原理が、国民投票法の成立によって揺らいでいく、などとはとても想像できない。


国民投票法が成立したことにより、国政参加の最低年齢が18歳となり、これに伴って民法の成人年齢が18歳に変えられるかもしれない、ということの方が当面は重要であろう。


いままさに日本人の常識が変わろうとしているのである。