ある乞食が道行く男に声をかけた。
どうか私にお恵みを。
私は、生まれてすぐ両親に先立たれ、一人きりで育ってきたのです。
どうか哀れな私にお恵みを。
男は言った。
お前は、あわれではない。
勇敢であった。
乞食は言った。
いいえ、私は勇敢などではありません。
両親のいない私は孤独で、暗く、周囲の者にもなじめず、いつも仲間はずれにされてきたのです。
ですから、こんな哀れな私にお恵みを。
男は言った。
お前は、あわれではない。
お前は自立していた。だから仲間など最初から必要なかったのだ。
乞食は言った。
いいえ、私はまったく自立などしておりません。
現にこのように乞食をして、人々の施しで生きているのですから。
私にはお金を稼ぐ能力がないのです。
ですから、こんな哀れな私にお恵みを。
男は言った。
お前はあわれではない。
お前は、働かずに稼ぐという稀な能力を身に付けているではないか。
乞食は言った。
お願いです。お恵みを。
男は言った。
お前にカネはやらん。
だが、これをやろう。
男は、カネの代わりに、一匹のカメを差し出した。
な、何ですかこれは・・・
乞食は唖然とした。
このカメは、生まれて間もなく両親と離れ、一匹で生きてきた哀れなカメなのだよ。
いや・・・カメは元々それぞれ個別に育つものでしょう。
まったく哀れではないではないですか。
乞食は男に反論した。
いや、そんなことはない。
男は言った。
このカメは魚の群れに入れずに、仲間外れにされてしまった哀れなカメなのだよ。
いや・・・当然、カメは魚の群れには入れないでしょう。
カメにはカメの生き方、ペースがあって、それに従って生きることが一番幸せなはずです。
だから、このカメは哀れではありませんよ。
再び乞食は反論した。
いや、そんなことはない。
男はまた言った。
このカメは、自ら餌を捕獲しにいくわけでもなく、その辺にある海藻や貝など、海の残り物だけで生きてきたのだ。このカメは餌を獲得しに行く能力のない哀れなカメなのだよ。
餌をわざわざ獲得しに行かなくても良いのなら、それに越したことはないではないですか。
残り物で生きていけるなんて、このカメは哀れでもなんでもありません。十分に恵まれていますよ。
そうだな。
男はようやく乞食の反論に納得した。
その通り。このカメはお前の言うように全く哀れではない。
両親がいなくとも、魚の群れに入れなくとも、餌を獲得しに行かずとも、それを何とも思わず立派に生きている。いや、それが立派だという概念もおそらくカメの中にはないだろう。
ただ自分の境遇をすべてを受け入れ、自由に海の中を回遊して生きている。
まさにお前の姿そのものではないか。
え?私のですか?
そうだ。お前は言った。
カメは元々個別で生きていくものだ、と。
人も同じだ。
両親がいようが、いまいが、結局誰もが一人、私という感覚と共に一生、生きていくのだ。
確かに・・・
またお前はこうも言った。
カメは魚の群れには入れない。
カメにはカメの生き方、ペースがあって、それに従って生きることが一番幸せなのだ、と。
お前は仲間外れにあってきたと言った。
しかしお前も、お前の生き方、ペースがあったから、仲間と一緒になる必要がなかったということではないのか。
な、なるほど・・・
さらにお前はこう言った。
このカメは餌をわざわざ獲得しに行かなくても良いなんて、十分に恵まれている、と。
お前もわざわざお金を獲得しにいかなくとも、人々から与えられているのは、十分に恵まれているのではないのか。
乞食はハッとした。
もう一度聞こう。お前は本当に哀れなのか?
いいえ。私は間違っていました。
私は、哀れでも何でもありませんでした。
その言葉を聞いて、男は初めて笑った。
そうだ。お前は哀れではない。
お前はこのカメのように自由で、恵まれた存在だ。
哀れという固く、重い甲羅を脱ぎ捨てた時、お前はさらに身軽に、この世界の恵みを満喫していけるだろう。
そう言って、男は立ち去った。
あ、ありがとうござます・・・
乞食にとってこの男の言葉は、過去のどんな施しよりも大きな恵みとなったのだった。
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『同情するならカメをくれ』
マタイの福音書にも記されている有名な、キリストの言葉である。
もちろん嘘である。
同情心は必要か?
もちろん苦しんでいる人や困っている人の痛みを理解し、手を差し伸べる優しさや思いやりは大切である。
しかし、時に、同情心は、その人をその枠から抜け出せなくしてしまう。
誰かを哀れめば、ますますその人は「やっぱり自分は哀れなんだ」というセルフイメージを強化させ、自らそこを抜け出していく力を放棄し、「哀れな自分」に安住してしまいかねない。
特に被害者意識に陥っている人に対し、そこに同情したり、賛同することは、本人の鬱憤は晴れるかもしれないが、ますます被害者の立場を強化するだけで、何の解決にもならない。
真のサポートとは、その人が体験しているそのプロセスを信頼し、そこを抜けていく力をその人の中に見出していくことである。
話の中の男は決して乞食が主張する「哀れさ」に同調しなかったがゆえに、乞食は本来の自分に目覚めていくことができた。
そこに弱さや哀れさを見るのか、
過酷に見える体験から学び、抜けて行こうとしている強さや勇敢さを見るのか。
その人は、かわいそうなのではなく、苦痛に耐え、魂の筋肉ムキムキ・マッチョマンになろうとしているイカした野郎なのだ。
これからはどんな人に対しても、哀れみではなく、賞賛という名の心のプロテインを差し出そうではないか。
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男が去った後、乞食は途方にくれていた。
あの・・・これ・・・
その後、乞食は、持て余したこの大きなウミガメを海に帰しに行った際、このカメの背中に乗せられ竜宮城へ行くことになる。
この元・乞食が浦島太郎だったということは世の中にあまり知られていない。
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