あんまり新しいモノを買わないが、
これは蝶々のNさんに勧められて速攻で買った。



 

SONYのREADER 電子書籍用端末。


ワタクシのように異国在住の活字中毒者にとっては福音である。
日本の書籍を手に入れようと思えば、まずはジャカルタ。
でも値段が二倍…

アマゾンはそもそも田舎まで届くかわかんない。

帰国休暇時にも買うが重たい。


しかしこれさえあればネットが使えるところはどこででも読めて、
なお持ち運べる!
すばらしい!


でも欠点があって、それは機械という事。
一度フリーズするとしばらく使えない。


そういうわけで本棚を探すと懐かしい本を発見。



 

チャールズコーン インドネシア群島紀行。


私が大学生の時に読んだ本でジャカルタの丸善で再購入。

著者は若い時に読んで夢中になったコンラッドにあこがれ、
その舞台となったインドネシアを歩き、それを綴った書。


彼がインドネシアを歩いたのは80年代後半から90年にかけて。
92年に初めて訪れて住みだしたのが95年の私のちょっと前。


コンラッドの憧れから来た著者のインドネシアを眺める目は、
目の前の物や人でも過去からの視点、歴史や伝統の知識に基づくようだ。

私もそういう傾向がある。


こういう共通点があって非常にはまった本であったが、
訳者があとがきで紹介しているように、
そういう視点やインドネシア語能力のおかげで新しいものを発見できなかったと批判されている。


訳者がかばうようにこれは大きく的外れである。
人はそれぞれが持つ背景を元に独自のものを感じる。
その人それぞれの感じたものを楽しむのが旅行記であるという意見は大いに共感する。

僕自身も読後に著者が訪れた地に行ったが、
著者と同じ様に感じたものもあったし、
見えなかったものもあった。
でもその違いが楽しく、興味深かった。


さてこの書で私のすんでいるアドナラは残念ながら紹介されていない。
フローレス島もエンデに立ち寄っただけである。


しかし以前住んでいたクパンはかなり出てくる。

もっぱら、そのころはまだインドネシア領だが自由に出入りできなかった東ティモール、
その地への潜入出発拠点としてだが。


面白いのは他の地ではインドネシア人との交流が当然多く書かれているが、
クパンではそこに住む西洋人との関係が多い。

今読むと「ああ、こうだったと感慨深い。」



私が住んでいたころ、クパンは確かにある種のコスモポリタンシティだった。

州都であるために東ヌサトゥンガラのあちこちから来た人をクパンでは見かける。


ひょうたんみたいな顔の人はティモール奥地。



メラネシア系で背が高いのはフローレス。


バターこてこてのアーリア系はサブ


サブにモンゴロイド混ぜるとロテ


サブをいかつくするとスンバ
等々、慣れてくるとどこから来たか当てるのも楽しい。


かつてバウンティ号のブライ船長はトンガで反乱を起こされる。
彼と部下19名は救命ボートにて追放される。
41日後になんとかたどり着いたのがここクパン。


それとは関係ないだろうが西洋人の姿も多く見かけた。

主流はオージー。
当時はダーウィンから直行便があったこと、
あと豪系の真珠会社とかもあった。


そんなことで安い物価目当てでリタイアした人や、
こっちの女の子と結婚した方も多かった。

でもみなさんあまりお金は持ってなかったよう。
持っていればバリ辺りに行くけど、ないから手軽なここでという感じ。


いろんな人がいたな。

ダイビングショップを経営し、60年代のアメ車で走り回っていた人。

延々とホテルの前に座ってマンウォッチングしてるおばさん。

漁場の側にある村に一人ですむオージー


またそういう知人を当てにしてか旅行者も多く、バックパッカーもよく見かけた。
そういった連中が夜には海岸のテディスというバーに集まってくる。
またお姉ちゃんたちも。

我々もオージーに交じって酒飲み騒ぎ、お姉ちゃんをからかい、時には喧嘩。


そんな感じでバリとは違ううらぶれた感じがプンプンしてたが、
僕はそういう雰囲気が大好きだった。

黄昏のコスモポリタンシティ。

僕がひそかにつけたクパンのあだ名である。


そんなクパンも99年まで。
東ティモール独立時に背後にオーストラリアがいたと、
インドネシア人が信じたことで対豪感情悪化。


多くのオージーがこの地を去った。


あれから10年以上、クパンはインドネシアの好景気で非常に活気がある。

しかし私から見れば、

実につまらない街になったと思う。


確かに人が増え、いろんなものが出来て便利になった。

住んでいる人にとってはいいことである。


でも大手系列のホテルやスーパー、レストラン。
そういうものの進出によって、かつてはどこの街とも違う顔を持っていたクパンを、
ジャワやスラウェシのどこにでもある街に変えてしまった。


発展により利便性を得た代わりに独自性を失う。
どこでもある話ではあるが。


まあ住んでいる人にとってはどうでもいいであろうが、
独自性を失うと旅行者はそっぽを向く。


僕が住んでいたころより飛行機の発着数は増えたが、
旅行者らしき姿を見るのは減ったように思う。

たまに見ても多いのがロテ島にサーフィンへ行く人たち。


事実、アメ車に乗っていたダイビングガイドはアロールに移った。


ガイドやっていたスンバ人J君はクパンに来ることがめっきり減った。
故郷スンバか、コモド島のそばのラブハンバジョでの仕事が多いとか。


このJ君に提案したことがある。


エコツーリズムをやれ!


ティモール島は哺乳類の分布は悲惨であるが、
鳥類はまだましである。
だからバードウォッチャーを案内できるようになれ。

クパン周辺の森はダメだろうから北海岸へ行け。
そしてケタンが確実に見れるポイント開発しろと意見具申した。

J君笑って相手してくれなかったが…


でもこの間、空港に森林局がある保護区の紹介看板が。
そこにはケタンことコガタコバタンCacatua sulphurea parvulaの写真が。

場所は北海岸ではなくて南。
そこはウミガメの産卵地とかティモールシカやイリエワニもいると書いてあった。

これはぜひ行かなければと思うが、
地図を見る限りではド田舎でかなりの悪路が予想される。
うむむむオフロードバイクを購入か?


まあツアーくんでもお客さんがいるかはわかりません。

ただし絶対食いつくであろう、クパン関連の日本人を一人知ってますが。







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