3週間前に東京に行った。

 

がんで闘病中の兄を見舞うために

兄の住む家へ母と行った。

 

兄は、うれしそうな笑顔を見せ

「来てくれてありがとう」という気持ちを表してくれた。

(喉の手術をしているので話すことはできなかった)

 

子どもたちとも楽しく過ごすことが出来て

みんな満足の幸せな時間を過ごした。

 

 

それから2週間過ぎた先週の朝、

義姉から兄が大出血して救急車で病院に運ばれたと連絡があった。

 

その日は勤務だったので、

次の日の朝一番で病院に向かおうと準備していたんだけど、

 

その夜午前3時、危篤の連絡が病院からあったと母から電話があり、

その10分後、再度電話がなり、心臓が止まったことを知らされた。

 

急すぎです。。。

 

見舞いに駆け付けようと準備した新幹線の切符は

葬儀の準備のためのものになってしまいました。

 

義姉1人でどれだけ心細いだろう。

 

みんなすぐに駆け付けたかったけど、

みんな離れ離れで暮らしているから、思うように行くことが出来ない。

 

急ぎ、私だけ東京へ向かいました。

 

ありがたいことに

できるだけ早く着きたいという気持ちに呼応してか

流れるように義姉の所にたどり着いた。

 

この日、中央線は変電所の事故で全線ストップしていて

混乱してたみたい。

 

最初、御茶ノ水の病院に行く予定が、練馬の自宅に変わったので、

 

東京駅から中央線に乗ることなく

品川で新幹線を降り、山手線に乗ったので何にも問題なかった。

 

そして西武新宿線での乗り換えの時も

直前まで、人身事故でかなり遅れていたのが

ちょうど回復したばかり。

 

どのトラブルにも巻き込まれることなく

スムーズに駆けつけることができた。

 

兄、粋な計らいしてくれるじゃんえーん

 

 

父母も、もう1人の兄もすぐに駆け付けたかった。

でも年老いていると難しい。

 

1人にしておけない父を、もう1人の兄夫婦がみることにして

母と私、次男とで葬儀に参列しました。

 

年老いた母には、この短期間で2度の東京行き...

けっこうな負担になったかもしれないけど、

無事にすべてを終えることが出来ました。

 

 

まだまだ元気でいるもんだと思いこんでいた。

日常は、些細なことであっけなくかわってしまうもんだ。。。

 

 

兄は哲学を学んでいて、おもしろそうな本をたくさん読んでいて、

いろんなことを知っていた。

 

そんな兄にあこがれて、私も哲学科で学ぶことを選んで上京した。

 

すでに働いていた兄と同居して

東京で4年間一緒に暮らした。

 

田舎から出てきて、バスや電車の乗り方さえわからなかった私に

兄はいろんなことを教えてくれ、面倒をみてくれた。

 

ご飯も作ってくれたなあ。


楽しかったなあ。

 

それぞれ違う道を進んで、家族をもって

忙しく日常を過ごすうちに疎遠になっていったけど

 

故郷で家族一緒に育った記憶、

新しい土地で2人で暮らした記憶は

ちっとも色褪せていない。

 

私そのもの、そして私の人生を構成している大切な一人だ。

 

感謝の思いを伝え、安らかな死後を祈りました。

 

 

2024年前半、思いもかけない形で過ぎていった。

 

...残った家族が、それぞれの人生をしっかりと生きていけるよう

少しでも力になれるといいな...