こんな素敵な会があり、奈良県吉野、丹生川上神社下社へ行ってきました。

 

 

 

 

 

 
丹生川上神社下社は初めて訪れます。
 
 
 
 
 
 
 
ご祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)

古代はタカオカミ、クラオカミと分けておらず、おかみのかみとも

貴船神社のご祭神も同じおかみ(闇龗神、高龗神)です
 
 

 

ここには白馬(白ちゃん)と黒馬(黒ちゃん)の神馬がいま
す。
 
 
 
夕方5時のサイレンが鳴ると同時に、黒ちゃんが首を使って柵を首を開け、
 
白ちゃん、黒ちゃんと
次々に低い柵を飛び越え、
馬小屋に帰っていく様子が、
毎日アップされているんです。
 
 
今回、このお話会のお誘いを受ける前に
このいきさつもまた不思議なのですが、
 
白ちゃん、黒ちゃんのこの様子を目にして
丹生川上神社下社のことが
とても印象に残っていたので、
 
あまりのタイミングの良さにびっくりでした凝視
 
これも何かのご縁なんでしょうねキラキラ
 
 
さて、片道3時間かけて
丹生川上神社へ着くと
 
白ちゃん、黒ちゃんの
出動姿を見ることができました爆笑
 
 
 
 
 
しばらく白ちゃん黒ちゃんと
たわむれた後、
 
丹生川の流れで、手を清め、太陽を拝みます。
 
 
 
そして拝殿の
階(きざはし)の下で参拝した後、
皆見宮司さんのお話。
 
 
 
 
「言挙げせず」
 
日本は「言挙げせぬ国」として
和の心をもって生きてきた国
 

 

「No」と言えば、
論理的に話せば、
争いになるから、
 
「言挙げせず」の和の心をもって
生きてきた。

 

 

それは
言葉や体裁、形式よりも大切な
 
人の心や感情を
察して生きていくことの大切さを
 
日本人は知っていたから。
 
お互いが言葉に出さずとも
感じあって、信頼関係が生まれる社会。
 
互いに言葉を越えて心で感じあう社会。
 
相手を思い尽くそうとする力があったからこそですね。
 
 
「言挙げせぬ国」だからこそ、
 
言葉を発するときは
相手の気持ちやすべてに心を巡らせて、言葉に魂を込めた。
 
それが言霊
 
 
この

「言挙げせず」という精神は、

 
丹生川上神社の成り立ちについても
当てはまり、
 
多くのことが、
言挙げされていなくて
明らかにされていなかった。
 
 
なぜ丹生山本殿に近づかないのか
階(きざはし)の頂上に上がれるのは、毎年6月1日だけ。
 
 
 
 
なぜ丹生川上が古書に詳しく書かれているのか
 

なぜ、馬が大切にされるのか

丹生川上神社下社は、絵馬の発祥の地でも。

 

 

これらのことが
宮司さんが日々、
「言挙げせず」の精神で暮らすうちに、
 
明らかになっていったそう。
 

 

 丹生川上神社下社から
北の方向をたどっていくと
 
丹生川上神社下社を最南端として
 
藤原京、平城京、平安京と真北へ続く1本のラインがあり、
 
そのラインの北端が
福井県の御神島(おかみじま)だということが
わかったんだそうです。
ご祭神のおかみの神と御神島(おかみじま)繋がりますね🐉
 

このラインには、天武天皇陵、貴船神社奥宮もある。

丹生川上神社下社と貴船神社のご祭神は、おかみの神(闇龗神、高龗神)
 
そして、どちらも
絵馬の発祥地とされています。
 
馬を使って雨乞いを祈り
雨が止むように祈りを捧げていたのが、
絵馬という形での祈りへと変わっていったようです。
 
「馬」とは、「午」
つまり「南」の方角を表している。
 
ラインの最南端の位置にある
丹生川上神社下社に
 
馬(午)がおかれるのは、都を守るという意味があるのだとのこと。
 
北端に、おかみのかみ(水神、龍神)として御神島
 
 
 
そして南端に守りの馬
 
 
 
 
けっして偶然ではない。
 
だが、これらのことは
言挙げせず、大切に守られてきた。
今、明らかになってきたのも意味があるのかもしれないとのこと
 
身を乗り出して聴き入りました目がハート
 
 
お話の後、もう一度
階(きざはし)からご挨拶させていただきました。
 
 
 
 貴重な丹生の
寒九のお水も
わけてもらいました。
 
 
 
小寒から節分の期間に汲んだ特別な水
「寒の水」
 
なかでも寒の入りから9日目に汲んだ水は
 
1年で一番済んだ水で、
「薬なり」と称えられるお水。
 
そんな貴重なお水を
日本最古の水神が祀られる社から
いただけるとは…
 
なんとありがたい。
 

 

古からの和の心をつないでいく
 
という思いに包まれながら
拝殿をあとにすると
 
 
 
白ちゃん、黒ちゃん
立ったまま
ウトウトお昼寝してました〜爆笑
 
 
 
この後
 
天河大弁財天社
女人結界
龍泉寺へと
向かいましたウインク
 
続きますルンルン