「早く検査してみつけてたら治ったかも、長生きしたかも」
ってたまに言われることがあるんだけど、ピンとこない。
何度か旦那とも話したけど、違うよなあって。
それより最初の正確な診断、対処がよかったおかげで、その後の治療につなげることができた。
この病気は早期発見よりも最初の対応が大事だと思う。
病気のこと、経過をあけっぴろげにして過ごしてきたけど、きちんと病気のことを知って助言してくれる人は少なかったなあ。
「 悔い 」 らしきものとしては、自家移植をして良かったのか、自家移植の大量療法はブスルファン/エンドキサンで良かったのか、、、今でも時々思います。
でもそれも、さんざん悩んで話し合って決めたこと。
(自家移植)やらずに再発した時の方が後悔が大きいと思う。
そう言って旦那は決めた。
再再発がわかった時、「もうちょっと長く(2,3年)頑張れるかなあと思ってたけど、仕方ない」 とも言っていた。
私ももう少し頑張りたかったな。でもしかたない。。。
「 悔い 」 らしきものはもうひとつ
結婚前に書いた手紙があったよなあ、、、って思い出して探してみた。
なかった(-_-)
そういえば去年、断捨離の時にごっそり処分したんだった。
たしか、結婚したらいずれ悲しいこと、大変なこと不安なことが起こるような気がする、ってなことを書いた。乗り越えられるだろうか?って漠然とした不安があるって書いた。
結構うっとうしい内容だったわ(^_^;)
どうせマリッジブルーだろうとうやむやになった。
確かに子どものことや義父母のことで、悲しいこと大変なことはあったけど、乗り越えられないことないやん、楽しいことの方が多いやんって思ってた。
こんなに悲しいことが待ってたとは。。。
結婚後わりと早くに、旦那は円形脱毛になったり、帯状疱疹できたりしてた。
免疫系になにか弱いところがあったのかもしれませんね。
たぶん、かなり前から病気のタネを持ってたんだと思います。
早くに気づいて行動できてたら、流れは変わってたんでしょうかねえ。
まあ、注意したところで旦那も好き勝手に楽しく過ごしてたので、難しかったかも。
私とすごして良かったのかなあ。役目があったとして、それがきちんと果たせたのか、、、さっぱりわからないわ。
でも、最期の日々の過ごし方には後悔はない。
再再発がわかってから、ほんとに早かった。
進行は早い、と何度も目にしてわかっていたので心して臨んだ。
子どもたちにも、
「食べたいと思ったものはその日のうちに食べる、やりたいことはやる。言いたいこと伝えたいことがあれば先延ばしにしないですぐに伝えるんだよ」 と言って、お祭りのようなてんやわんやの日々を過ごした(^_^;)
母、壊れた!と思ったみたい。
でも、今になって 「 なんで急いでたのかわかった、そうして良かった 」 とわかってもらえたみたい。
思ってた以上に早かったなあ。。。
ゆっくり考えて行動する暇はなかった。思い立ったら、感じたら即行動!でも間に合わないくらい。。。
やりたかったことの半分もできなかった。
てんやわんやで、、、会いたい、、、っていう申し出を断ったりもした。
でもね、これまでに会いたい人には会ってるし、話したいことは話してるし、もういいかなって本人言ってた。
在宅療養の中、看護やケアの時間、仕事や子ども、日常のことなどいろいろ考えると私のキャパを超えてなかなか難しかったのもあります。ケアの時間がどうしても削られるので。。。
良かったのかな・・・って今になると思うけど。
「何もしない、出来るだけ自然にまかせたい」 って一番の願いにはできるだけ添えたと思う。
自然に、流れのままに過ごせるよう、これまでの生活でやってきたこと考えてきたことは間違ってはいなかった、って最期の日々に感じられた、旦那も私も。
死後の世界があるとすれば(あると思うな)、それはそれでなかなか大変な道かもしれない。
これまでのことがちょっとは役に立って、幸せに過ごせてたらいいけどな。