「流れのままに、計らいがあり、受容し、最大限の対処をする」


との言葉があります。とてもすんなりと心に入ってきた言葉です。


治癒を願い行動してましたが、なにがなんでも、手段を選ばずがむしゃらに目指していたわけではありません。


流れにまかせ、その時々の最大限の対処、その連続の先に何かあるかもね、、、

結果はどうなるかわからないけど、それでもいいやん、と旦那と話していました。


自然に逆らわない行動を可能な限りとる、不自然なものを摂らないことも、その延長線上にありました。

特に信仰はありません。

というより、ほんとにおバカな何も考えない、直感だけのこれまで(^_^;)

ただ、起こった出来事は、テキトーには対処できないことだったので、否応にも真剣になりました。


これは、本当に今、向き合っている当人でないとなかなかわからないことかもしれません。

どうしても、周りとの意識の格差が大きくて、闘病が長くなるにつれ、孤独感も増していきました。

もともと難しく考えない旦那でさえも、孤独感は感じてたみたい。


でも、しかたないことかもねえ、など言いながら、楽しく過ごしましたよ(^^)



闘病の間、いくつかのターニングポイントがあり、選択、決断しなければいけないことがありました。


最大の選択、決断は、再再発がわかった時に、


「家に帰る、入院はしない」 


と大阪の病院にて旦那も私も即断したことでした。



これも、わたしたちにはごく自然な流れ。


流れに沿って、絶妙なタイミングで様々な助けや展開がありました。


どうしよう、、、と困った途端、在宅リハビリが始まり、在宅で過ごせるよう家の環境が旦那の状態に合わせて目まぐるしく変わりました。


入院はしない、と決めたもののどうしたものか困っていると、理想的なケアマネさんがみつかり、訪問看護が始まりました。


できれば自宅で最期まで過ごしたい、と思っていたら、訪問医療の体制がいつのまにか整いました。

みなさんが旦那と私の思いを汲み取り寄り添ってくださいました。


というより、想いを理解してくださる方たちだけが、いつの間にか周りに集まり、がっちり守ってくれるようになっていました。


より良い状態で過ごせるよう、みなさんが本当に尽くしてくださいました。


リハビリの先生は、「棒人間みたいになってほしくない」と、丁寧にマッサージをしてくれました。


看護師さんたちの丁寧な体のケア、私も教えてもらい、一緒にできました。

「いつでも来るから」と、本当にいつでも来てくれました。


訪問診療が始まった時、お医者さんは正直あまり長くないと思っていたようですが、

予想を裏切り、驚くほど良い状態で過ごすことができました。


魔法のようにいろんなことが進んでいき、

「健やかな最期」を迎えたい、という願いはかないました。


脳腫瘍だし、田舎だし、在宅は無理だろう、と思っていたにも関わらず。

ガンの末期の苦しみに聞いていたようなことはほとんどありませんでした。

こう言ってもいいのかな、つらかったけど、でも、楽しい日々でした。


あ、でも、最期の期間は痰がからんだり、呼吸が時折つらくなったりすることがあって、

「これは、想定外だったなあ、眠るように逝けると思ってたのに、こういう展開があるとはねえ」

 と旦那と苦笑いしながら話したりもしましたけどね(^_^;)


ま、そういうのもありよね。


友達に、

「どんなにお金を持っていて、願っていても、そう簡単にはできないことをやったのね、できたのね。」

と言われました。


できたわよ、びっくりだわよ。

でも、特別なことではないと思います。

願えば、できる環境は整いつつあります。できますよ。


それよりなにより、旦那は、この闘病期間中、ただの一度も何一つ愚痴も弱音も文句も言わず、いつも通りに過ごしてた。

すごいことよねえ。


だから私もついてこれたし、良い理解者たちが周りに集まってくれたんだと思います。


まだまだ、悲しみは癒えきれないし、今後なくなるとも思えないけど、いろいろ振り返る余裕はでてきました。


強引な結びつけかもしれないけど、「食べ物変えたら運命変わる」 はほんまもんや、

と思ってます。

いろんなアメージングな出来事が起こりましたよ。


立ち直りにも、毎晩の子どもたちとの夕ご飯がかなりの効果を発揮してます。

一食一食が、生きる力に変わります。


ええ、食欲だけは、ずっと変わらずいい状態をキープしてますわ。

結構図太いんでしょうね( ̄▽ ̄)