2023年 カン・ジェキュ監督 ハ・ジョンウ主演


あらすじ


1936年、ベルリンオリンピックのマラソン競技で日本は世界新記録を樹立し、金メダルと銅メダルを獲得した。しかしその記録を出した選手は、日本名の孫基禎と南昇竜として参加した韓国のソン・ギジョンとナム・スンニョンだった。第2次世界大戦の終結とともに韓国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。ある日、荒んだ生活を送っていたギジョンのもとにスンニョンが現れる。2人は「第2のソン・ギジョン」と期待される若手選手ソ・ユンボクを1947年のボストンマラソンに出場させるためチームを組み、“祖国の記録”を取り戻すべく数々の試練に立ち向かっていく。


胸熱ポイントたくさん

立て続けに公開映画重なり、台風の影響もあったり来週はバイトもあったりと見に行けるか?悩んでいたこの映画。雨も大丈夫そうだし映画サービスデーじゃないかと朝一番で行って来ました。

始まった直後近くの席のおじいちゃんが息子さん?に「これ韓国の映画なの?」何も知らずに連れて来られたのかー泣き笑い


想像以上に感動できて、

想像以上にマラソンが面白かったです!


本国では感動ポイントに色々と意義があったようです。パンフレットもみて、史実と違う部分があることを見終わってから知りました。


とにかく、イム・シワンが凄かった!


見る前は子犬のようなランナーのシワンを育てる鬼監督ハジョシの構図を想像。


実際には、シワン演ずるソ・ユンボクが最初はけっこう荒くれ者。喧嘩っ早くて、高慢。

金のためにマラソン大会に出たという。


そして、ソン・ギジュン(ハ・ジョンウ)も短気なおっさんで泣き笑い お前なんかマラソン選手無理じゃー、みたいな威圧的態度なの。



期待の新人が現れるけど、足は速いが貧乏で生活にいっぱいいっぱいなユンボク。病気の母を抱えています。


ここの潤滑油なのが、ナム・スンニョン(ペ・ソンウ)です。彼の性格が柔和で非常に良い人でした。

ユンボクに生活費あげたりするの。


ソン・ギジュンの先輩がナム・スンニョンで、1936年、2人で日本代表としてベルリンオリンピックに出て金と銀を受賞。

ボストンオリンピックに出る選手は朝鮮として参加させるんだ!という民族の胸熱展開が始まるー!


ボストンオリンピックまでの困難

これがなかなか大変で。日本から解放されたと思いきや、アメリカ軍が大手を振っていて、難民国としてやっと出場。オリンピックに参加するための保証人や保証金が必要。ここの困難さは大河ドラマ「いだてん」好きにはたまらない展開でもありました。

ただ、監督による史実とは違う脚色が入っているとのこと。(アメリカ軍からの資金有無や、ボストン到着後の星条旗問題など)


おっさん2人が胸熱

以前は日本人としてベルリンオリンピックで1位2位だった2人。この2人がずーっと喧嘩しつつのじゃれあってて!学生たちをコーチしてる海苔缶ことペ・ソンウ。ユンボクと一緒にボストンオリンピック出場。

え?コーチなのにチミも出るの?若者他にいなかったの?と驚き〜。しかし、スピードをつい出し過ぎてしまうユンボクを途中まで誘導する絶妙なペースメーカー役として、年寄りと言われようが走る走る!

結果12位で、おっさんの星すぎるでしょう。

ペ・ソンウが地味で…という本国のヒットにならなかった要因に挙がったみたい。でも、私は良かったですよ。


ユンボクの無双っぷり

スポーツ漫画の主人公のようなエピソード大好き人間が喜ぶ展開で、ユンボクが一体初めての国際大会で通用するのか?頑張ってくれー…とドキドキしながらクライマックスを迎えます。


アメリカ人とその他の記者からしたら、

朝鮮てどこ?大学あるの?新聞あるの?朝鮮で日本の中にあるの?みたいな認識。


優勝候補がたくさんいる中、全くノーマークのアジア人がごぼう抜きしていくのですが、マラソンの実況中継コンビの解説もお決まりの「誰コイツ?」な蔑みからスタートして〜、の、

劇的展開がもう!余計に興奮します泣き笑い

体脂肪6%シワンよ〜びっくり

ウリユンボク、冷麺の配達バイトや、貧乏だからいつも山の上の祭壇のご飯を走って盗み食いしていただけあって、心臓破りの坂もなんのその!

とにかく最強すぎました。速い速い。

これまでも、孤独に走ってきた彼の走り。

魅せられましたね〜。

監督ハジョシも、途中居ても立っても居られない状態になる!

途中のまさかの側道で応援する市民のドーベルマン?犬の紐が離れていくシーンには驚き。あれは史実だとかガーン

このマラソン部分だけでも、けっこうコーフンできました。マラソンそんな興味なくても国旗がどうこうなくても楽しめる!オーストラリアのメルボルンで撮影。当時の感じ、実況とかこうやってたんだーwと見てて面白いです。



 ソン・ギジュンを知る

ソン・ギジュンはその後も自国のスポーツ発展のために尽くした人でした。



「いだてん」ではソン選手とナム選手の靴を播磨屋の足袋職人が誇らしげに作って、金栗さんが「ソンさーん、ナムさーん負けるなー」と東京からエールを送るシーン。

その後、ナレーションで「ソン選手もナム選手も国歌と国旗が流されるのを知らされていませんでした」となる。

播磨屋でラジオを聞く人たちは、どんな気持ちだろうね、2人とも朝鮮の人だものね、と会話する。

播磨屋の主人は「どこの国の人だろうが俺の作った足袋買って履いたら嬉しいし応援する。それじゃだめかね?」

大河ドラマ「いだてん」では、ギリギリの、そこまでの描写だったので。

今回初めて掘り下げてソン・ギジュンのその後のことや葛藤を知ることができてとても良かった!


ソン・ギジュンのお孫さんと都立西高校の生徒と、カン・ジェキ監督のディスカッションです下差し

日本の高校生に呼ばれてディスカッションするのは初めてだという監督。未来を見るには過去を知る。ソン・ギジュンはメダルを取ったにも関わらず(胸の日章旗を月桂樹で隠したので)マラソン大会に参加することを禁じられていたので死に際に「箱根駅伝に出たかった」と祖父が言っていたいうお孫さんの話には、生徒たちは言葉を失ったようです。

それでも日韓の架け橋になったソン・ギジュン。

日本の選手に祝電を送ったり、中日へ韓国人選手を斡旋とプロ野球交流にも尽力。2002年日韓ワールドカップを見届けて永眠されました。