十二月歌舞伎座 | 和角仁の「歌舞伎座」辛口寸評

和角仁の「歌舞伎座」辛口寸評

グリデン・ワズミの歌舞伎劇評

 

 十二月の歌舞伎座は三部制の興行。〔第一部〕はまず愛之助主演の「実盛物語」である。「生締物」らしい颯爽とした容姿で、情理をわきまえた所演。特に〽︎呆れ果てたる」で逆ハの字でキマる件、「物語」での、「浮いつ沈みつ」での目使い、「折から比叡の」で扇をひらつかせ、トンと右足を踏み込んでその扇を頭上にかざしての見得、更には、「不憫やなァ」で右足を三段に落とし、扇を右手でかざし、それをスーッと降ろしてシオレる件などは予想以上の好演だ。しかし、台詞まわしなどには、まだ工夫を要するところが少なくない。たとえば、瀬尾(片岡亀蔵)への「腕(かいな)の講釈」などでは、思わず瀬尾が釣りこまれるように高踏的に語ってほしいのと、葵御前(笑三郎)への、「泳ぎ参ると思し召せ」と世話に砕ける件などにも、時代から世話への、変化の妙をもう少し味あわせてほしいのだ。加えて、厳しく言えば、愛之助には発声法に一つの瑕瑾がある。仁左衛門流の涼やかな発声をしてゆきながら、終(しまい)に近づくと、語尾をすぅっと上げ、それから、なんと、声を太めてぐっと下げるという癖(へき)があるのだ。これは速やかに是正してもらいたい。これでは「生締物」の台詞にはならないのである。亀蔵の瀬尾には「老け敵」らしい柄があっても、義太夫狂言としての味が薄い。「妊み女・・・キリキリこれへ引きずり出せ」とか、「清盛公の御上意だ」とかいう台詞にしても、権柄づくに強く張っている割には粘りがないのである。それに、花道へ出て仁惣太を呼ぶ件にしても、懐紙を用いるのではなく、ここでは、やはり、扇を使って呼び出してほしいところだ。松之助の九郎助は、肥満な体躯のせいもあって、<哀れ>とか、<霑い>が薄い。小万(門之助)の出自を語る、あの「なんのお隠し申しましょう」以下の大切な台詞にしても淡々として感動がない(因みに、小万の蘇生を願う件で、九郎助が傍にある井戸に向かって小万の名を絶叫する型がある。これなどは、古い民俗信仰の面影を残すものとして、ぜひ採択してほしい)。吉弥の小よしには古風な匂いが纏綿しているのがいい。葵御前は笑三郎。仁惣太は猿三郎。太郎吉は醍醐陽。第二は「土蜘」だが、智籌の松緑は、花道の出からして素晴らしい。闇に跳梁する異形の不気味さが色濃く漂ってくるのだ。舞台へかかって頼光と対し、「いかに頼光」と語りかける台詞からして深く沈んだ「呂」の声で観衆の心を震わせ、〽︎風に吹かれ、雨にうたれ」での、膝を着いた姿で頼光へ迫ってゆく鬼気、さらに、〽︎ささがにの蜘の振舞」から動きが一挙に速まり、頼光の台にのぼっての畜生口の見得、続いての、糸を振りかけ、花道へ抜け、袖をかぶって蜘の形を見せるまで、松緑は能取物の品格を失うことなく、かつ、歌舞伎味を付加して佳演する。後シテの蜘の精も古怪で重厚。梅枝の胡蝶は美しいが、「唐織」の役にふさわしい足の運びに工夫がいる。頼光は彦三郎。綱は松江。公時は萬太郎。貞光は橘太郎。季武は弘太郎。石神は亀三郎。太郎は権十郎。次郎は亀蔵(片岡)、藤内は亀蔵(坂東)。音若は左近だが、この人には将来が楽しみな、不思議な雰囲気がある。

 〔第二部〕は、初代桂文枝口述を基にした「らくだ」と「蘭平物狂」。前者では久六を中車、熊五郎を愛之助、らくだを片岡亀蔵、家主は橘太郎が勤めている。

後者は松緑家に由縁の深い演目で、昭和28年に二世松緑が復活し、三世松緑の13回忌追善、四代目松緑の襲名披露にも上演されている。本公演で七回目となる松緑は「行平館」での物狂、「奥庭」での大立ち回りの件などで、踊りの素養に裏打ちされた美技を見せる。大梯子、小梯子などを使って、故坂東八重之助渾身の美麗なタテが次々とくり展げられて、酔いしれてゆくものの、屋根−−−燈籠−−−床・・・と三段にトンボを切って降りるような危険度の高いものは、もうこの辺で削除した方がよさそうである。繁蔵に扮した左近が楽しそうに、キビキビと演じているのがいい。行平は愛之助。奥方は児太郎。大江音人は坂東亀蔵。明石は新悟。

 〔第三部〕は長谷川伸作の「瞼の母」と「楊貴妃」である。まず「瞼の母」だが、番場の忠太郎の母を慕う姿が、詩情豊かに演じられる。忠太郎の中車といい、玉三郎のおはまといい、観衆の涙を誘うほどの熱演だが、勘三郎(十七世)の忠太郎やおはまを幾度も見ている筆者には、やはり物足りない。半次郎は彦三郎。母は萬次郎。妹は児太郎。忠太郎の妹お登勢は梅枝。続いての玉三郎の「楊貴妃」は、京劇、能、歌舞伎を融合させ、幻想的な美しい舞踊に仕立てて、観る者に深い感動を与えている。力士は中車が勤めている。