十月歌舞伎座 | 和角仁の「歌舞伎座」辛口寸評

和角仁の「歌舞伎座」辛口寸評

グリデン・ワズミの歌舞伎劇評

 今月の歌舞伎座は、恒例ともいうべき、文化庁の芸術祭参加公演である。

 [昼の部]は、「新作歌舞伎・極付印度伝・マハーバーラタ戦記」三幕の一本建。日印文化協定発効六十周年に当たる今年度の上演をめざして、三年前から密かに、菊之助が青木豪(脚本)、宮城聰(演出)の両氏と協議を重ねながら、「イーリアス」、「オデュッセイア」と並んで世界三大叙事詩とされる「マハーバーラタ」を、迦楼奈(かるな)を軸として劇化したものだ。印度に伝わるこの世界最長の叙事詩を、僅か四時間前後の演目に仕上げた手腕も見事だが、しかもそれが、「新作歌舞伎・極付印度伝」と銘うたれたにふさわしく、竹本、長唄、パーカッション・・・・という音楽の流れのなかで、歌舞伎の時代物的な衣裳と、印度風を思わせる衣裳を身に纏った役者たちが、矛盾なく、混然一体となって演技を展開してゆくのである。更に、「絵面」で幕を切らせたり、序幕でのあの神々たちが睡りから一人ずつ目を醒して顔をあげてゆく件に、「仮名手本忠臣蔵」の大序を思わせるなど、随所に古典歌舞伎の技法が採択されていて楽しかったが、そうしたなかで、古代印度の世界を崩壊に導いてゆく端緒となる、クル王家の王位継承事件で激闘する迦楼奈(菊之助)と阿龍樹雷(アルジュラ)(松也)の姿に、時代を超えた人間存在の普遍性を鮮やかに示してみせるのである。この演目の大きな意義はここにある。他に、菊五郎の那羅延天(ならえんてん)久理修那(くりしゅな)、菊之助のシヴァ神、松也の梵天(ぼんてん)、左団次の太陽神、楽善の大黒天、鴈治郎の帝釈天、団蔵の弗機(どるはた)王、時蔵・梅枝の汲手(くんてぃ)姫、七之助の鶴妖朶(づるようだ)王女、亀蔵(坂東)の風韋摩(びいま)王子。

 [夜の部]の第一は「沓手鳥孤城落月」(二幕三場)。「桐一葉」「牧の方」と並ぶ坪内逍遥博士の「名作・三部作」の一つで、周知のごとく、大阪夏の陣を題材にしている作品である。ところで、歌右衛門(六世)にしろ、梅幸(七世)にしろ、役者が年劫を経て、立女形の位置に定着してゆくと、不思議に「淀君」に挑戦してみたくなるようだ。玉三郎もまた然りで、「以前から手がけてみたいと思っていた(役)」といっている。本領は「真女形」−−−ということは本人も充分に知っているものの、熟達した技量で、必ずしも「ニン」とは思われない重厚な存在感を必要とする「大立女形」の役に挑戦し、それを征服してみせようという自負心があるのであろう。確かに「奥殿」での、饗庭の局を一喝し、薙刀の柄尻で千姫をグッと抑える件や、常盤木との問答でみせる鋭い気迫は、気品を損なうことなき高い格調を漂わせ、また、「糒庫」での、あの「この日本四百余州は、みずからが化粧箱も同然」という台詞なども、単なる錯乱から発声されたものではなく、正気の自負心からのものであるような「見事な抑揚」で、流石に他優を寄せつけぬほどに卓絶したものではあったけれど、ただやはり、「糒庫」でのほとんど台詞の助けを借りられぬ存在態となっている件では、繊細さがあらわで、重厚味に乏しい。しかしあくまでも、繊細な感じのなかでの孤独、疑心、残忍、絶望・・・・・は、ここでの淀君のものではないのである。玉三郎の、向後の課題はここにある。七之助の秀頼は、悲運の貴公子の面ざしはあるものの、錯乱状態の母を吃っと見つめる眼差しが浅い。加えて、「女々しく思えども」以下の大切な台詞にも哀感が不足する。七之助ばかりでなく、総じて登場人物のほとんどに台詞の弱点が認められ、そのために舞台が散漫化して緊迫感がまるでない。坪内博士は、どんな端役の人物に対してもしっかりとした意味のある台詞を用意されているのであって、このことを忘れては、博士の作品に出る資格はない。大野修理は松也。氏家は彦三郎。正栄尼は萬次郎。饗庭の局は梅枝。千姫は米吉。常盤木は児太郎。第二は「漢人韓文手管始」(三幕)。筆者は、昭和四十三年十二月に、国立劇場で勘弥の伝七、三津五郎(八世)の典蔵、又五郎(二世)の和泉之助、雀右衛門(四世)の高尾、訥升(宗十郎)の名山、という好配役で一級品の舞台を観ているだけに、今回の「唐人話」にはなかなかいい点が入らない。伝七の鴈治郎などは、「和実」に相当な技量を持っている人だとは思うものの、一人だけが上方のイキで、他優とは別趣の芝居をしているので、観ているほうがまるで落ちつかない。芝翫の典蔵は風格はあるけれど、前半の「千歳屋庭口の場」などでは「悪」のきかない好人物で通しているので、後半の激怒や、「立敵」らしいどす黒い復讐心が活かされない。高麗蔵の和泉之助や米吉の名山は予想以上の好演だが、七之助の高尾にはいま一つ、立女形としての大きさがほしい。奴の光平は松也。第三は「秋の色種」。玉三郎が梅枝と児太郎をひきつれて、秋の草花を背景に、長唄を地にして、しっとりとした情感の漂う舞踊を展りひろげる。