水分の多いまとわり付く8月の駐車場の空気の中に降り立ち、空を見上げる。

 灰色の低い雲の上には、8000m級の積乱雲が夏の陽射しを受けて

 もくもくと暴力的に白く輝いていた。

 その横の何もない空間は紺碧だった。青い空でない紺碧の空を生れて始めて見た。

 

 11日の朝早く前日に帰って来た息子を叩き起こし墓掃除にいく。

 1ⅿ20以上はある台座の上に登って墓石にたわしを掛ける役目は息子に譲り、

 バケツの半分にも満たない水をせっせと運びながら雑草を抜いたり

 石製の花生けや蝋燭立てを磨いた。

 

 昔は遠い親戚の人が、日程の都合なので11日ぐらいから墓参りに来たけど、

 今はそんなこともなくなったな。でも準備だけはして置きゃなきゃ

 などと台座の上に上り、自分の身長より高い墓石を磨く息子に話しかけると

 代替わりをしたような、ちょっと寂しい様な、齢を取ったような感じがした

 

 12日の午前中は家に泊まるのをひよった息子がお付き合いしているという

 彼女とお茶をするための喫茶店の下見にきて、

 「月曜は定休日だけど、流石にお盆はやっているか」

 という会話に一抹の不安を感じながらカーテンの買い替えに

 次の目的地、お値段以上のお店に向かった

 

 午後は彼女を駅に迎えに行き、そのまま親友の竹ちゃんのお家で宴会だと言うのに

 「ちょっと暇でさ、今から家に連れて行くわ」と言う息子からの電話に、

 明日、喫茶店でいう事だから掃除なんかしてないけど、しょうがない。でも、

 流石にパンイチと言う訳には行かないよなと、慌てた。

 

 13日午後3時。私は紺碧の空を見上げながら固まっていた。

 月曜が祝日で翌日火曜に代休を取っている喫茶店って何なんだ!

 お盆のかき入れ時に平然と休むなんて自分のスタイルを押し通すか~、

 いけない!携帯忘れた。一回家に帰ろう。と、すごすごと車に乗り込んだ。

 

 息子の運転する車の助手席に座り込んで宇奈月温泉に向かう。

 昨日、顔合わせは済んでいるのですぐさまたわいもない会話に入る

 1㌔に満たない川幅の対岸の景色の変化に喜んでいるのが不思議な感じがする

 20分も走らないうちに対岸が迫り川幅はグッと渓谷っぽくなる

 

 宇奈月温泉駅付近を散策しながら小学校へ上がる前から行きつけだという

 息子の案内で喫茶店に入る。味覚障害の私は生レモンスカッシュに挑戦

 彼女は珈琲は苦手と言う事で冷たい紅茶、息子はレイコで三人席に座る

 「駅前の噴水は結構熱い温泉なんですね」などと感想などを話してくれる

 「お姉さんってどんな人ですか」と言う質問で腐女子の娘の話題で盛り上がる

 

 息子が車を回しに行っている間、

 温泉街にあるパーナンダ家御用達の紅茶専門店に案内する

 「黒四ダム建設の時に掘った隧道で発酵させた紅茶で香りが特徴なんだ」

 などと半可通をひけらかしながら「お家へのお見上げね」と言って包みを渡す

 

 帰りはさっき見てきた右岸の半隧道を走る。左岸の変化を堪能しながら

 「喫茶店の名前が思い出せないな、ブラームスではなくて、なんだっけ」

 などと物思いにふけっていたらあっという間に新幹線駅に着いた

 「それじゃ、俺は返るわ」と見送りなんかしないよと気を利かせたふりをした。

 

 私の記憶が正しければ、お盆と言うのは13日の日没から16日の日の出までで、

 16日は「地獄の釜も休む」という、あの世もこの世も定休日のはず。

 でもって彼女を見送って帰って来た息子と夕食後、墓参りに行く。

 マッチでろうそくに火を点ける事の出来ない息子にマッチの擦り方を教えた。

 

 14日はもう帰ると言う息子と母方のお墓にお参りしなきゃと言って

 午前中だけど墓参りに行った。心配したけど誰かがお参りしたあとがあり

 お花が沢山飾られていた。母の実家は後継ぎがいなくて、

 関係者全員で相続放棄をしたのでちょっと心配だった。

 

 交通費がわりに息子の車に満タン給油をした。

 俺もじいちゃんに帰省の度に交通費もらっていたからと

 遠慮する息子に車の中で食べろと言ってパンやドリンクを買う

 「なんかフラン人みたいだ」とバケットが飛び出した買い物袋をみて息子が笑う。

 

 お盆のしきたりや過ごし方は地方によって違うとラジオが言っていた

 「そういえば」と子供の頃のお盆の様子を思い出す

 日が暮れると各家々が一家総出と言った感じで繰り出し、墓場は一大社交場となる

 「隣りのお嫁さんの浴衣姿、綺麗だったね」と話したのを思い出す

 

 14日、15日と夜に1人で墓参りに行く。これで三夜連続ミッションコンプリート!

 蝋燭の灯も燃え尽き、線香の煙もなく、今では夜のお参りはすこし寂しい。

 みんな早いうちにお参りを済ませて夜は宴会かな

 そう思いながら、溜まったビデオチェックに没頭する

 

 16日の朝6時に墓掃除にいく。

 ジジババであふれている中を水汲みの列に並ぶ。

 ウチの墓のお隣は私から数えて6代前の江戸時代の終わりに分家した

 つまり本家のお墓でお墓を掃除するお母さん(88)と挨拶を交わす。

 俺はヨタヨタと歩いてきたけどお母さんは軽自動車に道具を積んで来ている

 お母さんは膝を人工関節にしてからはバリバリでまだまだ現役である。

 ウチの母の現状を話すと涙を流していた。

 元気が何よりと言って別れた。

 

 人生は出会いと別れの繰り返しと言うけれど

 いろんなものがやって来てそして去っていく

 そう言えば、息子の彼女の名前も俺の記憶から去って行ったようだ

 ・・・・それでいいのだ。