今は令和何年なのか分からず、スマホを見るが2024年1月5日09:37としか分からない。・・・09:48令和6年だった。なんとなく令和5年と思ってたので見当識障害かと恐怖を感じる15分だった。

 

と言う事で、そろそろ「日常」という、この世の現象世界に戻る事にする。いろいろ考えると何も結論も出ないで、何か分離して行きそうである。今はこのブログが唯一の現実世界との接点である。

 

さて、世間と分離していた時間があるがそれを便宜上12月29日から1月4日までとする。✖デイは29日だが何故そうなったかをマイナス✖ディな日々を思い出しながら記録して行く。

 

ー1(28日)は糖尿病診察日であった。その日出かける前ちょっと疲れ気味だなと思い何気に水銀柱計で体温を測る。8度3分の表示であるが身体感覚は平熱なので取り敢えず「まっ、いいか」と病院へ。9時半の予約時間なので9時に病院駐車場に車を止め病院玄関へ。自動顔面検温器は「正常な温度です」という表示なので受付機を通り内科待合で順番を待つ。上着、スカート、全身ニットの横幅と前後に厚みのあるマスク美人がやたらと「ゲホゲホ、ゲホゲホ」咳をしながら歩き回っているのを見て

「予兆だな」と思おう。

 

9時35分ぐらいだったか、順番が来た。診察室に入室。医師の一瞥を受けるが、着席して、医師の話を聞く。A1cは7.4。運動量が極端に減って12月に入って散歩は3回だけ、ほとんど炬燵ムリ状態だった割りにはそんなものかと思う。医師も問題にして無い様だ。彼の関心はもっぱら悪玉コルステロールの125という数値にあるらしい。目標は120なのでその為の薬に変更したい。この薬の特徴は2方面作戦を同時に行う事の出来るのが特徴だという風に理解した。次の診察日を打ち合わせて退室。多少スケジュールに齟齬があったが、10時30分台には病院を出たと思う。我が家御用達の薬局は木曜は午前だけの営業なのだがこれなら余裕である。病院の玄関で自動顔面検温器が「40.9度。危険」と赤く警告点滅して来たがお構いなしである。

 

 薬局に医師ご推薦の薬がない。午後3時は入荷するとの事だが、明日の朝一に取りに来ることにして、午後は✖ディ突入準備に入る。何が必要かとスーパーに入る。バナナは取り敢えず買わない。ピラクルが一本残っていたのを見つける。スーパーに梅干しが無い現実には慣れた目に食塩12%の梅、シソ漬風味梅なるものを発見。13%以上が梅干しであるが、実に潔さを感じるパッケージに1個購入。あとは・・アイスである。ここは定番のスーパーカップを箱買い。後の事は後でいいかと思い家に帰りベッドメーキング。毛布を足し、ストーブの灯油を満タンにして✖ディを待つ。

万一の時の為に弟に「寝込む」事を伝える。ロボ様に買いだめて置いた栄養補助ドリンクを一袋持ってきてくれた。娘が米を取りきたついでに洗濯機を回している。「俺は多分明日から寝込むので電話に出ん」と宣言しておく。「お粥作っておいた」とのこと、日本人なら白粥だ。「分かっているな」と感心したが卵粥だった。霊性レベルにおいて鳥類とは「悪物」(にくむべきもの)関係の私はがっかりである。へたり込んで寝込んでいる状態で悪物には関わりたくないが、彼女にとっては知らぬ世界のこと教えてもいない事なのでしょうがない。現実世界の親として「ああ、こいつも男に疎まれるタイプの女になっのだな」と悲しくお思うことにした。

 

✖ディ(29日)朝一で薬を取りに行き、服薬とお粥と水を準備してそろそろ薬を飲んで寝ようかとしたところ、「身體」が服薬を拒否してきた。病気なんだからいろいろ薬飲むべきでしょ、と説得したところ降圧剤と抗炎症剤の2つについて飲んでもいいとの許可が出たが、申し訳ないので「覚悟」決めて白湯だけ飲んで「寝込んだ」

 

日に一遍、弟から生存確認の電話に出た。それ以外は記憶が断片的で特に私はテレビを見ない生活になってからも紅白歌合戦だけは見てきた。受信料も紅白の為だけに払っていると言っても過言ではないが、なかなか始まらない紅白を待ちながら、去年のバウンディカッコ良かったなと、今年はどうかかなと、夢うつつしているうちに

 

揺れた。

 

 この地に戻って来て地震を体験できると思っていなかったのでチョと慌てた、いや一瞬だが覚悟した。東京なら震度5弱?あ~地震だねと済ますとこだが、この地に生きている人には本物の地震体験、一生に一度の事であって欲しい。

 

さすがに疲れた。病み上がりである。体力がない。取り敢えず日常に戻ろう。

                                  つづく、