ゴジラ キング・オブ・モンスターズ を観に行ってきました(ネタバレあり) | 無敵動画堂高田のブログ

無敵動画堂高田のブログ

無敵動画堂 というサークルで、アマチュアアニメを製作している者が、アニメや特撮について語ります。

 やっと、やっと観に行くことができました。

 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

以下、ネタバレありの感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一言でいうと、

 無茶苦茶な映画でしたね。

 この無茶苦茶、というのは

 肯定的意味と否定的感想、両方にかぶります。

 なんとなく、良かった、とか、悪かった、という感じではなく、

 良かったところは もの凄く良かった!

 と思えるし

 悪かったところは、 いや、これはマジであかん!

 と思える映画でした。

 

 良かったところは、何と言ってもそもそも映画全体からほとばしる怪獣愛でしょうか。

 はっきりとそれが感じられた。

 各怪獣の初登場シーンは演出的にも工夫が凝らされており、

 背びれを光らせて威嚇してくるゴジラのシーンなんて、この後の派手な活躍を盛り上げる前奏曲を思わせる素晴らしいシーンでした。

 各怪獣の大暴れっぷりはどれもド派手な映像に仕上がっており、特にラドンの空中戦には、多くの観客が胸を躍らせたのでは?

 キングギドラが常に雷雲を背負っているのも、ムード演出として抜群。

 カメラが縦横に動き回る中、怪獣と人間が同一画面に収まってる、という演出が多用されており、臨場感を盛りあげてくれました。

 そしておなじみのゴジラとモスラのテーマのテーマ曲の使用!

 おなじみのテーマ曲の使用 が、これ程高揚感を与えてくれるものだとは!

 使うとは思っていなかった、ということも含めてだとは思いますが、マジで鳥肌立ちましたよ。

 オキシジェン・デストロイヤーの登場や、

 ゴジラVSデストロイアのバーニングゴジラを思わせる、爆発臨海寸前の赤く発光したゴジラの登場、など、

 これまでの作品へのオマージュがふんだんに盛り込まれているのも、映画全体の高揚感盛り上げに大いに効果を発揮していた。

 

 で、怪獣愛に比べ、人間側のドラマとストーリーは……。

 主人公の妻に関しては、もう、全く共感できないただのテロリストやん!

 おまけに、悪役として描かれるのならともかく、なんかこの映画、彼女をいい人として描いている節がある。

 いや、犯してしまった過ちを反省し、贖罪の為の行動をとるのはいいことなんだけど、やらかしてしまったことの大きさを考えると

ゴジラVSキングギドラの主人公並の事はやって貰わないと、納得できないですよ……。

 

 ↓ゴジラVSキングギドラ

  キングギドラを生み出してしまった贖罪に、未来人の野望を粉砕し、メカキングギドラを操縦してゴジラの脅威から日本を救ってくれます。この作品の主人公は。

 

 怪獣コントロール装置ともいうべき「オルカ」を簡単に持ち出して、簡単に仲間の元を離れ、簡単にスタジアムの放送室に辿り着いてしまう主人公の娘の扱いも、何と言うかあまりにもご都合にすぎる。

 そしてそれを追う母を「用なし」といって、追い詰め、「撃ち殺すのではなく本当にほっぽりだしてしまう」(その後の自由行動を完全に認めてしまう)テロリストの親分の行動 も、悪役としての魅力を削ぐだけで、別にあれで「悪役ながら人間としての厚みを持たせた」様には見えない。

 全体的に「ストーリの都合」に合わせてキャラが動かされている感の強い脚本でした。

 

 で、ダウンしたゴジラを復活させるために、核爆発を起こす人類……

 いや、これ、「ゴジラVSキングギドラ」でも完全否定されている、「やってはいけない行為」そのものでしょう?

 もちろん、映画でのゴジラの扱いが、この映画ではゴジラは完全な「善なる存在」なので、

「ゴジラを復活させるために核兵器を使用する」

 という行為そのものの意味合いが全く異なり、この映画の中の行動としては、頭では理解できる

 しかし……

 それでもやっぱり、核兵器の使用を「善行」のように描くことは「ゴジラ映画」ではやって欲しくない。

 ストーリー上、大変大きな盛り上げパートだったこともあり、そこからのクライマックスへの流れで、私としては映画全体の流れへの共感を大きく下げられてしまい、実は「クライマックスに気持ちがまるで乗らなかった」

 

 色々書きましたが、シン・ゴジラなんかと比べると、はるかに「観たかったゴジラ映画」であることは間違いありません。

 観てよかった。