最近ずっと、書く事をさぼっていた。
さぼっていたというか、ここは誰にも言えない不満や怒りや
愚痴等等、マイナスの感情のはけ口として始めた、秘密のページで
あったので、去年の夏に恋人のできた身分としては、正直書く事がなかった。
つまりは幸せであったのだ。
付き合い始めの頃の相手に対する緊張や不安が薄れてきて、安定してきたので
ここに来る事もなかった。
今思えば、本当にいろんなテーマを織りまぜて作るブログにすれば良かったのだが
初めたきっかけがあれだったし、今更変えれない…
かといって、別に心が苦しくないのに、悲痛な文章を書くと、なんだかますます
稚拙で独りよがりな文章に拍車がかかって嘘臭くなる。
だから更新が不可能であった。
…しかし考えてみればこれは自分だけの日記のような存在だし、マメに更新する義務は
ないと気がつく。(ただ、一名このブログの存在をしる人がいるので、その人には教えて
もらった手前失礼ですが;ごめんなさい。)

今日は、この頃、小さく気にしている事があるので、久々にここへきてみた。
最初から私は幸せとか好きになる感情とか、相手を思いやる心とかの不安定さに
イライラしていたり、信じられなかったりと、かなり捻くれた考えをもっていて、
でも最近、今の彼に対して、本気で私を大切にしてくれたりする思いやりに感謝できる
感情がでてきて、その感情を出せる自分に安心し始めていた…のに
実は、つまらない嫉妬やふてくされで、つい、女性特有の嫌味な言い回しを言葉にして
しまっている。
こんな事を言ってはいけないとわかっていても、言わずにはいられない…。
本当にただの我侭な子供のような憎まれ口に、最近自分の方がうんざりしている。

どうして、言わずにはいられないのか…
こんな言い方をすれば、相手が鬱陶しいと思う事も、嫌な気分になることも
全部承知で言ってしまう。

私自身、この幸せに慣れて、有り難みが麻痺しているのだと思う。

いつも言った後に後悔する。
その一時を我慢すれば、一夜あければ、その時のモヤモヤした嫌な思いは
無くなっているのに。

この我侭を増長させると、きっと相手の気持ちも冷めていくのだろうと
解っている。好きだからこそ許せる相手の我侭にも限度がある。
やはり、自分でも境界線を見極めないといけない、と最近真剣に悩んでいる。

(こんな考え方事体、なんだか恋愛ドラマでヒロインの仇役に出て来る
計算高い女性のようで嫌だなぁと思う。)
二週間前の週末に扁桃腺が炎症を起こした。
数年前に初めて、前の職場で疲労とストレスで発病?してから
まったく忘れていたけど、かなり症状は重く、またしても
点滴を打たれるはめになってしまった…。
高熱と痛みに呻きながら、日曜日に彼と逢えないかもしれないことが
悔しくて、発病のタイミングにイライラしていた。

これは先週末の話。
そして、今週もなんだか薬も飲んだし点滴も打ったので、大丈夫かと思っていたのに
まだなんだか調子が悪い。また痛みが酷くなるのも嫌だったので、再度病院へ。
そしたら、腫れがひいてないから、薬を変えて一週間様子をみましょうと言われた。
そして、これで腫れがひかなければ、手術して切りましょう。と言われた。

切る事になったら嫌だな…と思った。

今日、彼は友人三人と京都へ日帰りで遊びにいっている。
その友人達とは学生時代の友人で、そのうちの一人は前の職場で私と一緒だった
女の子で、更に今の彼を紹介してくれた人でもある。
そして、残り二人の人達のうち一人も女の子で、しかも一度食事を一緒にしたことも
あって面識のある女の子。残り一人が男の子(一度見た事だけはあるけど遠くから会釈のみ)

さてここからが私の戯言…というか愚痴。
どうして私は今回も誘ってもらえなかったんだろう。
どちらにしても今日は体調が悪くていけないし、結局暫く安静にしないといけない
身体だけど…
でもまた、誘ってももらえてなかったことが、なんだか悲しくて腹立たしい。
だいぶ前に、付き合い始めの頃、夏に海でバーベキューを同じ面子でやるような
話があった。彼が一緒にきたらいいと、その時は言ってくれたが、前職いっしょだった
彼女が、私が行くと車1台で行けなくなるよ…と彼に言った。
その時点で私は、なんだか嫌な気分になって、遠慮するから大丈夫だよ、と言って
行かない事になった。
その後も、彼女達の水着をいつ買いにいこうとか、そんな話を聞かされて、
私は行かないのに、彼を交えてそんな話を聞くのは正直つまらなかったし、嫌だった。

今回も彼の車で行くのに、私が入ると車一台で行けなくなるからか、私が入るのが嫌なのか
どっちか解らないけど、誘ってすらもらえなくて、なんだかいつも以上に今嫌な気分になっている。
身体が弱って病気が思い通りに治らなかったりすると、すぐこういう気持ちができてしまう。
過去を遡って。

紹介してくれた女の子の事を、同級生で自分の方が付き合いが長いかもしれないけど
今は私が彼女なのに、私を誘ってもくれないなんて無神経な人だと思ったり。
あとなんで、レジャーの時、彼にいつも車出させるんだろう?その事も嫌!
自分も大きな車乗ってるし、もう一人の男の子も大きい車で、乗れる人数は一緒なのに。

彼も、私が今病気なのに、自分だけ遊びにいって、楽しんでるメールを入れて来たり。
置いていかれた私がそんなもの素直になんて喜べないよ。
私の心がせまいのだろうか?
普通はそういうメールも喜ぶものなの?
メールくれてありがとうって感じるものなの?

いろいろ複雑で嫌な感情が混ざりあって全然そんな気分になれないし
悲しくて悔しくて、嫉妬の涙が止まらないよ。

今日は社内で誕生日の人がいたため、夜はお誕生会だった。
狭い支店なので、このような行事が必ず行われ(自分もしてもらったのだが)
全員参加必須のような雰囲気を醸し出す。
故に、当然参加していた…。

ちょっとタイミングが悪いなぁ…と密かに思っていた日であった。
祝日に彼と逢う約束をしていた。お弁当を作る予定だった。
前日から、下準備等しておきたいと思っていたので、夜遅くまで
拘束されることに不安があった。
まず、これは最初から感じていた不都合。
急遽、起こった不都合が、彼がこの日に限って早く仕事が終わってしまったこと。

そして、彼は今日、私が夜、会社行事のため都合が悪い事を忘れていた。
電話が、かかってきて『今日はもう終わったよ』との事、
『良かったね』と私が答える。しばし沈黙。
彼は私が『逢いたい』と言い出すのを待っていたのだった。

なんで今日なんだろうと思った。
物事は本当に上手くいかないようにできている。

正直、逢いたかったが、行けるわけもなく…
彼は、友人と飲みに行ってしまった。
そして、帰りが遅かった。私はその時、翌日は私と逢うのに
何故、そんな行動を彼がとるのか、と哀しくなった。
私は、明日のお弁当のために、早めに帰宅して下準備をしていた。

私が哀しく思ったのは、私が翌日彼と逢うために、いそいそと
一人で楽しみにしながら準備をしているのに、彼がそうではないことが
寂しかったのだった。
明日、遅くまで飲んでいた彼が、眠そうにするのは明らかで、
何故、私と楽しく過ごす時間を大切にしてくれなのだろうと、
寂しくなったのだ。
あと自分だけが楽しみにしているように思えて惨めにもなっていた。

今日時間が空いていたら、彼と逢えていたら、こんな思いはしなくて
すんだだろうと、勝手に思っているのだ。
あの人との関係も少しづつ安定してきて、最近はお互いがいい意味で
お互いの存在に慣れて来ているような気がする。
しかし、表面上はそう感じていても、些細なところから、このバランスを
どう保っていったらいいのか困惑する時がある。

私は、小さい頃から周りの人間に人気があった試しがない。
学生時代にクラスで人気のある友達や知り合いが大勢いる人を遠くから眺めながら、
いったい、この人はどのように人と接して付き合っているのだろう?と疑問だった。
人から好かれる人間というのはあまり自分のわがままを出したりしないものだろうか?
相手のための我慢とはどこまでするべきなのか?それとも完全に自身を押さえ込んで
相手に合わせるのだろうか?それが自然にできてしまう人がやはり大勢に好かれるのだろうか?

私は、どこまでも我慢ができない。
あまり親しく無い、めったに行動を共にすることのない人には、その場限りということも
あって、いろんな我慢や遠慮もできるのだけど、すごく親しい人にはそれができない。
あまり自分を押さえて相手の喜びそうなことを考えてると、偽善者のように感じてしまうし、
心の中で嫌だと思っているのに、相手に嫌われたくないからと、隠してしまうのは
相手に失礼ではないかと思ったり…いろいろ…。

では彼にはどこまで自分を出していいだろうか?
程度がわからない…。
我侭歓迎!そう言ってくれるけど、彼にとっての我侭はどの程度なんだろう?
すごく不機嫌になるような状況に私がなっても、
それはその場では出してはいけないだろうか?
拗ねてしまっているのを隠して笑っているのがいいだろうか?
うまく隠せるなら、それもいいかもしれないが、私はそれをすると
なんだかぎこちなくなってしまって、余計にダメなので、困っている。

相手の気持ちを考えて、どういう態度にでたらいいか考えるのだけど、
自分の感じている不満な気持ちはどう伝えたらいいだろうか?
やはり、相手にも自分のことを解って欲しい、伝えたい…。
お互い、本音で話し合えて、そして思いやっていけたら…と思っているのに。

これは性分というもので、どのように変えていったらいいのか…
最近、真剣に考えたりしている。
今日は日曜日、久しぶりにあの人と逢わない日曜日だった。
友人とカヌーをしにいっている…。
そして私は本日は三味線のお稽古へ。

あんまり練習をしなかったのと着物があまり上手く着れなくて
もともと気分が沈みがちな稽古だったうえに、
風邪もかなり酷めにひいていて、
できればお休みしたかったけど…
一人きりで家に残されて寂しかったので
きちんと出席した。

その稽古の途中で三味線の弦がいきなりパチンと音を立てて切れた…。
かえたばかりの弦だったのに。
なんだか急に不安になってその後の演奏は散々だった…ただでさえ
下手なのに…。
あの人は無事だろうか?と胸騒ぎがした…。
何度もメールを入れてみる。
夕方になって来たメールは、雨で増水した川でカヌーから投げ出されて
危うく溺れて死にそうだったとのこと。
ちょうど弦が切れた時間帯だった…。
でも無事で良かった…。

今回、死というものは案外近くに潜んでいるものだと思った。
じゃあ、何故私が強く死を望んだ時は、私の隣で息を潜めていてくれなかったのか?
簡単に命を奪えただろうに。
どうやら死神も、死にたく無いと思っている人の傍に行きたがるらしい…。
生きる気力を最初から無くしている人間には用はないのだろう…。
なんて物事は上手く行かないようにできているのだろう…。
10月から、本格的に三味線を習い始めている。
早くマトモに奏でるようになりたくて練習をしようと思うのだけど、
なんだか上手く音が合わせれなかったり、弦が何度も切れたりして、
練習すらできない状態にうんざりする…。

今さらながら、私が好意を持つ人間がなんて少ないんだろう…と感じた。
人数を数えてみたら片手で足りてしまった。
…世の中にはいろんな人と相性の合う人間と、相性の合う人間が極端に
限られてくる人間といるのだなぁ…と。
自身が無理に壁を作っているのかと思い、割と積極的にいろんな人達と
交流を持とうと努めてみても、一緒にいて楽しく無いどころか、だんだん
苦痛になってくる。
上手く自分を出せないし、出してみても空まわってしまい、
相手も私もなんとなくしらけてしまっている空気がわかる…。

自分が話して楽しくて、相手も楽しいと思ってくれる確率は、いったい
どれくらいなのか?
考えると虚しくなってきた…。

このどうしようもない状況は、気持ちはどうしたら救われるのだろう。


昔、何かの番組で地球の磁場が狂うとイルカや鯨が自ら砂浜へ上がってしまい
死んでしまうことがある、というのを見た。
その時、私は死んでしまう事を望んでもいないのに、自分から死の領域に入り込んで
しまったイルカや鯨は命が絶えるまでに何を考えているのだろうと、ぼんやり
思っていた。

今日は、久しぶりに大阪へ髪を切りに行っていた。
髪は伸ばす方向なのだけれど、やはり髪のボリュームと
癖が強く出て来る状態は堪え難く、今日行く事にしていた。
美容院へ予約をいれた後、大阪へ行くということで
ある人に久しぶりにメールを入れてみた。
私が最悪の状態の時に別れた人へ。
別に、会える事を、期待していた訳ではないけれど、
私は相手からきた返事の内容になんだか、腹立たしさと失望を同時に味わう
なんとも形容しがたい気分になってしまった…。
(私は今日、会えないのなら、このメールに返事はしなくてもいいという形で送った。
会えない理由は、今の私の知りたい事ではない。メールが来なければそれで良かった。
なのに会えない理由を、なんだか本当かどうか判断つかない理由をつけてごめんねと
返事をしてきた、そして『落ち着いたらメールする』という一文も書き添えられていた。
私は、もうその人からの連絡などは待ってはいない…最後の電話で話した相手との約束を
果たすためのメールを私は送っただけだったのだ。)
その為に、私は踏まなくてもいい地雷をわざわざ知っていて、踏みにいったような結果になって
しまって…すごく後味が悪い…。
すごく好きな人ではあったけど、相手もすごく私の事を想って、努力してくれたけど、
でも結局、最後の最後まであの人は、私を知る事は無かったのだ、と改めて思い知った。

酷く、疲れた…(まあ、阪神優勝セールで大混雑の中、買い物をしたせいもあるだろうが)
うちあげられたイルカや鯨も、自分からわざわざ『望んでも無い事』を招いてしまって
瀕死の中、失望感に支配されていったのだろうか?

唯一の救いは…
疲れはしたけれど、頭は痛いけれど、今、支えてくれる人がいるのは
すごく助けになっている…帰りの電車の中、仕事が終わったと報告の電話を
わざわざかけてきてくれたのが、すごくタイミングが良かったのだった…。
また、心の中だけで『ありがとう』を告げた。

これから先、自分から海岸にうちあがるような事だけは、うっかりしてしまわないように
気をつける事にする。



心が変な満たされ方をしていて、言葉が何も浮かんでこない…。
心が怠惰な状況にいる。
傷付くと、いつもは動かない私の頭が、いろんな事を考えはじめる。
そして、滲みるように嬉しい出来事があれば、それはそれで、
いろんな感情が溢れて来て、いろんな言葉に変換されていく。

何も浮かんでこない今は、どちらの感情にも針が振れていないのだろう。
でも、あまり波のない日常の方が穏やかに、過ごせるのかもしれない。

今日は仕事の一段落の日であったが、達成感も感動も何も感じなかった…。
その事に微かな不安は感じはしたが…。
満足のいく充実感も強い不安感もない…しかし、こんな真っ平らな日々は
続かないだろう…。

きっと、明日になれば、また強い不満や、高揚感や、寂しさや怒りや希望等で
心を波立たせるのだろう…。

今のうちに、曖昧な感情に浸っているのもいいのかもしれない。


久しぶりに、心の満たされた休日を過ごせた…良かったと安堵する。

最近、付き合ってる人とギクシャクしていて、心弱い自分はもうだめかもと
思っていた。
でも、なんとか軌道修正して、今日の休日に臨めた。
高原へドライヴする予定だった。
『相手のために何かする』という感情に乏しい私が
相手が喜んでくれるかもしれないと思って、料理下手にもかかわらず
お弁当等を早起きして作ってみた…。
(でも、やはりこんな行動をするのは相手が嬉しがってくれるかもしれないと
いう自身の満足のためで、たぶん、この行為が不発に終わってしまったなら
きっと、とたんに惨めな気持ちになって拗ねてしまうだろう…なかなか純粋な気持ちで
行動がおこせない。)
もちろん、相手の人は喜んでくれて(喜んでくれると解っていたのだ)
私はそれで御機嫌になっていて、滑り出しは悪く無かった。
天気もよくて、風も涼しく心地よくて景色も美しかった。
何より嬉しかったのは、その場所が圏外であったということ。
彼には電話やメールをよこす友人知人が多く、私は逢っている時に
その着信音を聞くのがとても嫌だった…(たとえそれが共通の知人であったとしても)
だから、その着信音が聞こえない状況で逢っているのがとても嬉しかった。

後半は海の近くのカフェでお茶をして、海も見に行った…堤防で座って暮れてゆく
景色を長い時間見ていた…
その景色も綺麗で、久しぶりに心が穏やかになって、幸せだった。
こんな風にずっと一緒に誰かといられたらと、泣きたいくらいに思っていた。


どうか、貴方にとって私が水中に僅かに存在する酸素のような存在でありますように。

最近、あの人の機嫌が悪い…原因は解っている。
普段、とても温厚な印象の人なので、周りからみたら
機嫌が悪いようには見えないかもしれない。
私だけが、密かに感じる不協和音かもしれないが…

でも、最初の頃から比べると、私という存在に慣れてきていて、
その微かな態度の変化や言動が、
まだまだ情緒不安定な私の心を掻き乱す…
お願いだからどうか、不安を煽らないで…
押さえられなくなってしまう。

貴方は、私の中をまだ知らない。(教えるつもりなど無いが)

貴方の心が不安な時、支えになってあげたい、助けてあげたい。
でも、貴方という存在を支えるには、私はまだ不安定で、脆い。
自分自身ですら支えられない弱い私が、貴方に必要とされる日はくるだろうか?

水の中で思い通りに動けなくてもがいているような、毎日で。
いつか、水の中に存在する空気のように、貴方に請われる日はくるだろうか?

頑張りたいのに、どう頑張ったらいいのか、まるで解らない。
その術を知っても、実行できるか解らない。
せめて、腐敗した私の精神が暴走して制御不能にならないよう…
自分から、終焉に加速していくような心境にだけなりませんよう…

貴方にとって、とても貴重で、必要とされる水の中の空気になりたいのだ。