紅碧 瑠璃色 空色 藍色 新橋色 高麗納戸 湊鼠 青碧 『すべて青』 -4ページ目

紅碧 瑠璃色 空色 藍色 新橋色 高麗納戸 湊鼠 青碧 『すべて青』

初めまして。
日々小説やブログ、詩を更新しています。
こちらで出逢えたのも何かの縁、一読いただければ幸いです。
今後とも、宜しくお願いいたします。

水瓶座のO型より。

「少し早いけど、今日美穂と一緒に選んだから良かったら使って。」

まさかのグラタンに加えて、このサプライズに兄は本当に驚いているようだった。

「おお、ありがとう、美穂ちゃんも選んでくれてありがとう。」

一杯食わされたな、そんな事を言いながらリボンを解く兄を美穂は最高に可愛いと言っていた。

少し値は張ったけれど、大学生になる兄へTomorrow Landの万年筆を贈った。

兄はそのペンを見るやいなや、小さなメモ用紙に「ありがとう」と試し書きをした。

「いや、やっぱり嬉しいプレゼントだからいつもよりも巧く字がかけるね。」

「いつも通りだよ。」

こんなことしか言えない私は可愛くないのかもしれない、美穂ならなんて言うのだろう。

そんな事を考えているうちに玄関のチャイムが鳴った。

「菜穂だよ、あれ、メールを送らなかった。」

驚いているのは私よりも美穂の方だ、まさかの真打登場といった具合だろう。

携帯を見直すと、確かに夕方兄からメールが届いていた。

もしかしたら帰りの電車のなかで圏外になったときに送られてきていたのかもしれない。

「どうしたの、今日泊まっていくの。」

「泊まりっていうか、ちょっと待っていて。」

兄は玄関に向かって歩いて行った、美穂が脇腹を小突く。

「私がいても平気なの、っていうか先に言ってよ。」

美穂は少しいじけているようだが、遠慮することなど一つもない。

「気にしないでよ、それに菜穂さんにも美穂の話ししてあるし。」

「えっ、それって何を。」

こんな美穂を見るのは久しぶりだ、少しこのままからかって置くのもいいかもしれない。

「こんばんわ、沙紀ちゃんお邪魔します。」

リビングに兄が菜穂さんを連れて戻ってきた。

いつ見ても可愛らしいという言葉が似合うひとだ、今日は白と黒のワンピースに薄い紅色のジャケットを羽織っている。

ええっと、と菜穂さんが考え込んだ処で兄が口を開いた。

「沙紀の親友の美穂ちゃんだよ、ほら武勇伝の。」

「あなたが美穂ちゃんね、色々と楽しい話しを聞いているわ。」

「武勇伝…んっ、ああ、初めまして、あの、宜しくお願いします。」

「そんなに改まらなくても、そうだ、菜穂さん、今日は泊まっていくのですか。」

ソファに腰を掛けた菜穂さんにお茶を手渡す、グラスは当然江戸切子だ。

「あれ、隆から聞いていないの。」

兄は笑いながら計画変更、と叫ぶとどこからか大きな包みを取り出した。

開けてみ、という風に頷くと私にその包みを寄越した。

中には反物が、それも淡いブルーと濃紺が自然と溶けあい、その上に白梅が鮮やかに散りばめられ、その袖口になるだろう部分には真っ赤な紅梅が一点ずつ線が引かれた、夢の織物が入っていた。

「どうして。」

言葉にならなかった、美穂はその突然の出来事に驚きながらも目の前の着物の美しさに目を奪われているようだった。

兄は得意げに話し始めた。

「まさか俺へのサプライズもあるとは思わなかったけど、これさ、親父とお袋からプレゼントだよ。」

お父さんと、お母さんからの贈り物っていうこと。

「そう、生産が間に合わなくて誕生日は過ぎちゃったけど、少し早い成人式用の反物にだってさ、前に親父たちに着物の話しをしていたのだろ。」

涙が零れているのを美穂に指摘されるまで気が付かなかった。

忘れられていると思っていた、自分から伝えるのは癪だったから特になにも言わないでいたのに。

「ちゃんとお礼の電話をしとけよ、今日だと向こうでは朝の忙しい時間だろうから明日にでもさ。」

頷くだけで精いっぱいだった、こんなに自分自身でも嬉しいとは思わなかった。

海外に行ってしまってから、数か月に一度母親が帰国するだけで父親には殆ど逢えていない。

それでも、覚えていてくれた事がどうしようもなく嬉しかったのだ。

そして、と言って兄はまたごそごそし始めた。

これが俺と菜穂から、そして…。

「これが私から。」

美穂だった、さっきまで突然の出来事にあたふたしているように見せていたのは演技だったのか。

「これどういう。」

状況がまったく解らないのだ、嬉しい事には変わりないのだが少し頭が追い付いていない。

それに菜穂さんからは、とても「高価」な簡単なものを以前に頂いている。

「沙紀にちゃんとしたプレゼントを渡せていないなと思っていたら、親父からこの反物の事を聞いて、だったらもう一度合わせてお祝いするかって。」

兄に続いて菜穂さんが話す。

「それで、その着物に合う髪飾りを私と隆で選ばせてもらったの。」

言われた通り中には上品な色遣いの髪飾りが一式収められていた。

「そして、ついに私の出番。」

美穂が待っていましたとばかりに話し始めた。

「お兄さんに一週間前に呼び出されて話しを聞いてね、私からのはそんなに高価ではないけどお揃いだから良かったら付けてほしい。」

美穂から渡された包みの中にはハワイアンジュエリーのリングが入っていた。

「ほら、去年沙紀から貰ったリングを三日で無くしちゃったでしょ、だから。」

なんて幸せなのだろうと思う。

これ以上に幸せを望む事は罰があたりそうな気さえする。

だから、美穂はあの時夕飯の前にメールを、と話していたのか。

あれは興味があった事以上にこのサプライズに向けての一つの準備だったのだろう。

いつの間にか立場が逆転してしまった祝いの席で、感謝で埋もれた涙と鼻水を抱えながらあの時に、美穂が話した「恋文」の意味を私は考えていた。

あっという間に夏は終わり、気がつけば衣替えの季節だった。

その過ぎていく季節のなかで唐突に、そして鮮やかに、限りなく現実の世界から遠い場所から彼は現れた。

きっかけは、なんて事のない「会話」だった。

will you going out with me.

画面上に表示された言葉はあまりにも直球で、およそ日本人の男性には表現できない感情が埋め込まれていた。

美穂から送られてくる見合い写真の相手のような、厭らしさもなければ几帳面に女性を煽てるような手際もない。

if you catch my word, please send a mail.

自慢ではないが私の英語の評価は十段階で下から数えた方が早い。

送られてきたメッセージの日本語訳は当然、美穂に頼むことになった。

「これって、誰から送られてきたの。」

興味津津の美穂に説明するのは少しだけ面倒だったが、和訳をお願いしているからには話さなければいけなかった。

「美穂に登録されたSNSサイトだよ、あそこからメールがきたわけ。」

ふうん、という具合に和訳を進める美穂は続ける。

「でもあのサイトからのメールを見るなんて珍しいね、そのひとかっこいいだね。」

「写真はないよ、そのメールが来ただけ。」

それは本当だった。

別に英語の文章に惹かれた訳でも、海外からのメールに興味を持った訳ではない。

ただ、サイトの自己紹介欄に書かれた一文に惹かれたのだ。

the letter of lovers.

どういう経緯で日本の私へこのメールを送ってきたのかは解らない。

しかし、その一文は私の心に鮮明に残ったのだ。

「終わったよ。」

美穂は印刷された「手紙」をひらひらさせている。

「どういう意味。」

「ん、簡単にいえば恋文だよ。」

焦らすようにするのは美穂の癖だが、どうしてわざわざ古風な言い方をするのか。

「だって、あのサイトの自己紹介欄は美穂が日本語で書いたやつなのに。」

「別に、日本語なんて読もうとすれば誰でも読めるよ。」

それに、といって「手紙」を渡してきた。

「私が沙紀の恋のキューピッドかもね。」

恋って、これはそういう感情ではない。

自己紹介欄の一文と、このメールの内容が知りたかっただけだ。

だから、特にこのメールへ返信もしていないし、これからもするつもりもない。

「とりあえず、返信しようよ。」

「別にいいよ、手紙の内容も解ったことだし。」

「だめ、沙紀がこういうことに興味を持つことはキリン以来なのだから。」

ほら行くよ、そういって美穂はカフェの席を立ちあがった。

今日は土曜日だ、兄の誕生日プレゼントを買いに来たつもりがどうしてこうなったのか。

駅で切符を買い、電車を待つ。

美穂の家とは二駅しか離れていないから、自然と遊ぶ時間も長くなった。

それがこの関係になった一番の理由かもしれない。

それ以外でも美穂は私にとって掛け替えのない親友ではあるが、こういうときの行動力にはなぜか逆らえないものがある。

「今日さ、沙紀の家に泊まってもいい。」

電車は横浜駅を通り過ぎ目的地に向かっている。

「いいけど、今日は私が夕食の当番だから帰りがけに買い物もしていくからね。」

「やった、これでお兄さんと仲良くなれたら嬉しいし。」

美穂いわく兄は相当かっこいいらしいが、私にはそうは思えない。

初めて逢った時から異性を意識させない、いい人だった。

「行くよ。」

保土ヶ谷に着くと、駅前の大型スーパーではなく近所の商店街で買い物を済ませる。

なぜなら、今日は商店街で買い物をするとポイントが三倍つく日だからだ。

「沙紀って何だかんだ言っても、すっかり主婦だよね。」

見合いばかりを勧める姑をしり目に夕飯の材料を選んでいく。

今日は兄の好きなグラタンの予定だ、私の誕生日のお礼も兼ねている。

あの日、美穂以外に私の誕生日を祝ってくれる人がいるとは思っていなかった。

菜穂さんまでが、わざわざプレゼントを用意してくれていた。

「今日知ったから簡単なもので悪いのだけど。」

そう言って渡されたものは、とても簡単なものには見えない江戸切子のグラスセットだった。

思わず貰った私が恐縮してしまったが、兄から菜穂さんのお父さんは代議士をしているとの話をその時に思い出した。

「夕飯の支度まで時間あるでしょ。」

家路の途中で美穂が切り出した。

「あるけど、メールの返信は夕飯のあとだからね。」

「なんで解ったの。」

美穂はなにか企んでいる時に、右手を鳴らす癖がある。

たぶん無意識のもので本人は気がついていないだろうけど、気がついてしまえばこれ程解りやすい癖はなかった。

「ただいま。」

「お邪魔します。」

単身赴任している父親のもとに母親が付いて行っている、そんな状況は正直面倒くさくもあれば楽でもある。

金銭面で困る事は殆どないし、こんな風に親友が泊まりに来てもまったく問題がないからだ。

兄はここぞとばかりに遊び呆けると思いきや以外にも、小さな父親のようにきちんと、突然の予定がない限り家の用事を済ませて帰宅している事が多かった。

菜穂さんも一度だけ泊まりに来た事があるだけで、それ以来泊まることはなかった。

「お帰り、早かったね。」

リビングから声聞こえる。

「うん、今日美穂が泊まっていくから。」

襖を開くと何やら小難しそうな資料を広げて、レポートを兄は纏めていた。

「すみません、忙しい時にお邪魔してしまって。」

「ん、大丈夫だよ、もうすぐ終わるから先に着替えてきなよ。」

そう言うと兄はまた資料の束に目を向き直した。

「前と同じでいいよね。」

「うん、ありがとう、それより平気だった。」

兄の事を気にしているのだろう、元々あまり表情に変化がないひとだ、あの状況では怒っているように見えたのかもしれない。

「平気だよ、いつも通り。」

二階の自室に上がり、ジャージとスウェットを取り出し片方を美穂に渡す。

「そっか、なら安心した。」

ジャージに着替えながら、美穂は可愛いパジャマを今度買ってこようと呟いた。

そこからは、ただ淡々と日常が流れた。

夕食の準備、食事、そして美穂の不必要な程の兄の持ちあげ話しだ。

あいつはまたあんなところで。

三年校舎は二年校舎を見下ろす形で建設されている。

だから、この学校で一番高い場所にある三年校舎の屋上からは全てが見える。

校庭、中庭、一年校舎と二年校舎、そしてそれぞれの屋上スペース。

送ったメールに気がついたのか、こちらを見上げて手をあげた。

「あそこにいるの、妹さんだよね。」

斎藤菜穂が視線を移しながら聞く。

「そうだよ、一応。」

妹、といえば響きはいいがあいつは妹というより男友達という印象がいまだに抜けない。

サバサバしているというか、世間で言う「妹萌え」とは掛け離れた性格だ。

「可愛いよね、彼氏とかいないのかな。」

可愛い、か。

確かに初めて母親に連れられて逢ったときは、妹ではなく異性として見掛けた事もあったが一緒に暮らし始めてすぐにその感覚はなくなっていった。

「メールきているよ。」

ん、携帯電話の液晶には「あほ」と名前が出てきている。

「ちゃんと名前で登録してあげなよ。」

「いいのだよ。」

携帯を開く、するといつも通り菜穂がメールを覗きこんでくる。

昔の浮気をまだ疑っているのだ、信用してもらうためには仕方がないが少しだけ踏み込まれたくない部分にまで入り込まれている気もする。

…今日の夕飯カレーにしてね、夕日見ていたら食べたくなった。

曜日で分担している家事、今日の夕飯係は俺だった。

…却下、今日はシチューにします。

メールを返信して菜穂を見ると、少し怪訝な表情をしている。

「どうした。」

「別に、じゃあ支度もあるしもう帰らないとね。」

絶対になにか疑っているようだが、それもいつもの事だ。

「今日、一緒に夕飯食べるか。」

「いいよ、この前も御邪魔したばかりだし。」

こういう問答を少しだけ面倒に感じる。

俺と妹の仲を疑っている訳ではないのだろが、本当の「兄妹」ではない部分へ女性として引掛りを感じているのだろう。

「大丈夫だよ、二人分も三人分も変わらないしさ。」

たぶん、菜穂と食べたいと言えばよりいいのだろうがそれは言いたくなかった。

嘘ではないが、この状況でそれを言うことは正解ではない気がしたからだ。

一瞬考えた後に菜穂は、ありがとうとだけ言った。

帰り際に、二年校舎を見渡すともう人影はなくなっていた。

…今日、菜穂も夕飯食べにくるから。

一応メールだけは入れておく。

校舎を出るとすぐに返信が届いた、携帯が淡いブルーに点滅する。

…今日は、やだ。

菜穂が教室に忘れ物を取りに戻っていて良かったが、あいつが誰かを拒絶するなんて滅多にない、それに菜穂が先週同じように夕飯を食べに来たときはこんなこと言わなかった。

それにメールも菜穂がいやなのではなくて、今日がいや、だ。

喧嘩のもとにしたいわけではないので、とりあえずメールは削除する。

すると、また携帯が光った。

…送り間違えただけだから、気にしないで。

送信ミスか、それなら気にしなくてもいいだろう。

「お待たせ、どうしたの。」

菜穂が下駄箱から声をかけてくる。

「いや、夕飯のメニューを考えていた。」

「リクエストがあったじゃない。」

「そうなのだけどさ、バイト代も入ったからケーキでも買っていこうかと思って。」

「いいですね、指定校推薦で大学が決まっているひとは余裕があって。」

菜穂の皮肉は耳にタコが出来そうなほど聞いている。

「そう言うなよ、三年間頑張ったから少し休憩しているだけだよ。」

本当は、たまたま推薦が取れただけだ。

それでも充分に高学歴な大学だ、正直入学していいのかと思ってもいる。

「でも、どうしてケーキなの。」

これは、まずい展開になってしまうかもしれないが嘘をついても仕方ないだろう。

「誕生日なのだよ、妹の。」

「それならさ。」

何を話し始めるかと思ったが、どうやら喧嘩の種を危惧する必要はなかったようだ。

やっぱり苺ケーキでしょ、そう言って笑う菜穂はいつも通りの表情だった。

あいつ、俺が誕生日を忘れていると思っているのだろう。

少しだけ、驚くあいつの顔を思い浮かべると何故か懐かしい感じがした。


そして美穂にメールが届くのだ。

「さすがにないでしょ。」と。

すべて顔で判断しているとは言わないが、あまりにも失礼だとは思う。

そう言った出会いを否定しているわけではないが、その写真までの歯が浮くような優しさがやはり偽りなのだと行き着くまでに時間は掛らなかった。

いままでの私の彼氏は、美穂いわく動物園らしい。

ゴリラにキリン、ライオンにカンガルーとどれも愛らしいはずの動物たちの名前が当てはまるという。

そういう美穂の彼氏は確かにかっこいい人物が多かったが、総じてどの人も私には例の写真家たちにしか見えなかった。

終了を告げるチャイムが響く、大きな空には最後まで雲ひとつない。

同時に私は美穂に「彼氏候補無し。」のメールを返信して購買へと向かう。

今日は新しい菓子パンの発売日だ、コンビニにいけば買えるのだが学校の購買で、という部分が非常に魅力的なのだ。

「あっ、こっちだよ。」

美穂だ、すでに購買で新しいパンを二つ手に持っている。

「はい、あんた今日誕生日でしょ、お祝いにあげるよ。」

そうだ、すっかり忘れていたが今日は私の十七回目の誕生日だった。

「すっかり忘れていた、ありがとう。」

「さすがに覚えておきなさいよ。」

今年の誕生日プレゼントは苺のクリームと板チョコが入ったパン二つだ。

ちなみに去年は、十本で二百円というお買い得なボールペンの束が三個だった。

お陰さまでこの一年ペンには困らなかったが、それを貰った帰り道の鞄は重たかった。

「うん、美味しい、朝ご飯を抜いてきて良かった。」

たぶん、誕生日を覚えていてくれたのは美穂だけだろう。

こんな風に祝ってほしい訳ではないが、やっぱり少しは祝われたいと思ってしまう。

「私から見たらそのパンは毒物にしか見えないけどね。」

「美穂はから党だから残念だね、この美味しさが解らないのだもん。」

苺の粒粒感まで再現されているこのパンは、すでに私的ランクに殿堂入り確実だ。

「別に解らなくてもいいの、私にはキムチや唐辛子の美味しさのほうが魅力的だから。」

そう言って、美穂は持ち歩き専用の七味を取り出すと購入したシーチキン御握りに振りかけていた。

「邪道だね、まさに。」

「いいの、きっとシーチキンもこの奇跡の出会いを喜んでいる。」

校庭は夏の日差しを目いっぱいに受けて、砂漠のように乾いていた。

携帯電話が蓄えている個人の軌跡は、およそ人体が持つ記憶容量を上回っている。

それが時に人の繋がりを決定的に断ち切る要因にもなるが、多くは孤独を嫌う人たちを仮想的に紐付ける巨大なライン工場になっている。

現実的に見れば、言葉の向こう側で思考を巡らす人たちが本心から他人と他人、その繋がりを大切に捉えているということは少ない。

どれもが使い捨ての乾電池のように、その個体が持つ魅力が損なわれた時点で優しさや愛情は途方もなく遠い空間に置き去りにされる。

最初からそのラインなど存在していなかったかのように。

「これはさすがにないでしょ。」

教室では古文の課題である源氏物語について各々がレポートを纏め上げているようだ。

音の無い声で先ほどからやり取りをしているのは教室にいる親友の田中美穂だ。

美穂はすでに先週末にそのレポートを学年で五指に入る学力で早々に完成させ、最高得点のミツバチスタンプをもらっているから時間を持て余しているのだろう。

私も提出済みだ、勿論ミツバチスタンプをもらっている。

しかし、私は「雲居の雁と夕霧」という人物の考察とその時代背景を美穂の言う通りに書き落としただけだ。

音の無い声が届くたびに屋上の床に置かれた携帯電話が淡いブルーに点滅する。

どうしても美穂は私に「彼氏」というステータスを持っていてほしいらしい。

自分にも彼氏がいないのに、様々な男の「表情」をご丁寧にメールへ添付してくる。

どうやればこんなに多種多様な男と知り合えるのか、屋上に上がってから四通目の「お見合い写真」が届いたようだ。

大きく広がる空が大好きだ、ゆっくりと時間が過ぎていく。

授業をサボっている優越感などは全く持っていない、一種の発作のようなものでこれを鎮めるためには小一時間空を眺めていなければいけない。

だから、親友からの着信色は大好きなその色に設定してある。

でも幾度も送られてくる「表情」の変化の無いことといったらない。

誰もが、少し髪をワックスで弄ったようで、何枚撮り直したか解らないような表情で。

思わず私よりも写真映りを気にしているのではないかと疑うほどに斜めからフレーム内へ絶妙に収められている。

この写真家たちと恋愛する位だったらこの空と雑談していたほうがずっと楽しそうだ。

それに、親友の顔を立てるのにメールを続けるのはもう嫌気がさしている。

試しに何度か自分でも驚くほどに可笑しな化粧をして相手に写真を送信したことがあったが、決まって相手からの返信はなくなっていた。

お母さんの声に揺すられて重い瞼をと開く。

脳内ではまだノルエピネフリンもセロトニンも放出されていなかった。

だから、いつの間かに葉山に到着していた事も夢の続きなのだとぼんやりと考えていた。

月が細くてとてもきれいだった。

門柱をくぐって玄関を開けるとそこにはみんながいた。

お父さんとお母さんのお爺ちゃんとお婆ちゃん、従妹のお父さんもお母さんもいた。

実家でお爺ちゃんが飼っていたシーちゃんも寝床からのそのそと出て来た。

びっくりしてお父さんを見上げるとなんだか怒っているような顔をしていた。

リビングに上がるとみんなが順番に大きな腕を広げて僕を抱き締めてくれた。

どうして抱き締められているのか解らなかったし、すごく恥ずかしかった。

でも、みんながいてくれた事が本当は嬉しくて堪らなかった。

僕を囲むようにリビングのソファに座っていた。

みんなが笑っていたけれど、なぜかお婆ちゃんだけは少し悲しそうな顔をしていた。

シーちゃんは寝床には戻らずお爺ちゃんの膝の上でもう一度眠り始めていた。

夢の続きではない、本当に葉山にいるのだ。

でも、ついさっき名古屋の家で眠っていたはずの僕はどうしてここにいるのだろう。

頭をくしゃくしゃと撫ぜられた。

腕の伸びる方に目をやると、その大きな手はお父さんの手だった。

軽々と隣に座っていた僕を持ち上げると膝の上に座らせる。

また急に恥ずかしくなった、だってシーちゃんと同じ格好だ。

膝から下りようとすると声が聞こえた。

「みんな、おまえの事が大好きだぞ。」

ゆっくり振り返ると、お父さんがさっき見上げたときと同じ顔をして僕を見ていた。

怒られると思った僕は思わずそのまま俯いてしまった。

また頭をくしゃくしゃと撫ぜられた、そしてまたお父さんの声が聞こえた。

「おまえはみんなの宝物だ、こんなにも愛されているのだ。」

愛に溢れすぎている人間、それは父親だ。

僕は父親から愛を教わったといっても過言ではない。

普通は母親から教わると言うが、気味が悪くても父親からなのだから仕方がない。

「どれ程愛されているかを、こいつに伝えてやらないといけない。」

転園直後に仲間外れにされた僕へ愛を教えるためだけに急遽決まった真夜中の里帰り。

今思い返せば、新しい仲間に対する園児たちのからかい程度だったのだろう。

だが、母親から事情を聞いた父親は仕事から帰宅するとすぐに帰省する旨を祖父に伝えた。そして僕を抱き抱えると、スーツ姿のまま車に乗り込んだのだと母親から聞いた。

「愛されている事を伝えないといけない。」

あの言葉、そしてあの時の真っ直ぐな行動。

それらがどれだけ家族を支える大きな柱になっているか、父親は未だに気付いていない。

直球勝負だけを好むピッチャーのように、行動を第一にガツンと起こす性格。

変化球は好まないらしく、思春期を過ぎた妹たちからはデリカシーがないと言われている。

でも、いつだってそうだった。

きっと僕以上に僕の事を一緒に悩んでくれていた。

言葉足らずで時々は衝突もしたけれど、どんなときでも家族のことを一番に考えている。

「お前らが心配ばかりかけるからこんなに薄毛になってしまったぞ、どうしてくれる。」

そんな言葉を最近よく耳にしていた。

そう、家族のピンチに現れるスーパーマンだ。

空も飛ぶためのマントもないし、必殺のパンチもない。

それでも家族を守るための大きな愛と揺るがない勇気を父親は持っている。

直球を好む性格が災いして騒ぎだけが大きくなる事もあった。

でもそれは家族だけのお約束だ、次の日にはケロッとして笑ってくれている。

そして、どんな時でも叱ってくれる。

いつの間にか僕も世の中で一人の男性として数えられる年齢を過ぎた。

だから、父親が背負ってきた家族を支えるという事の重さが少しだけ解った気がする。

背丈だけは大きくなった、今じゃ僕のほうが身長も足のサイズも数センチ上だ。

それでもあなたの背中にいつか追い付けるのだろうか。

「こんなにちびだったくせに。」

そう言って人差し指と親指で小さな距離を測っては文句をいう。

そのたびに思うのだ。

まだまだ僕はあなたの背中に追い付けないと。

僕はどんぐりだ。

あなたの大きな幹から伸びる太い枝から幸せをもらったどんぐりなのだ。

僕もいつか大きなどんぐりの木となって愛すべき人たちの幸せを守る時間が来るだろう。

その時に初めてあなたに聞いてほしい事がある。

殴り合いの喧嘩をした時も、迷惑をかけた時も、初めて二人で酒を飲み交わした時もずっと考えていた事だ。

なあ、酒は程ほどにしてくれよ。

健康診断を少しは信じた方がいい。

あれはお医者さんが適当に書いたものじゃないのだから。

いつまでも、いつまでも元気でいてくれ。

そして僕の結婚式には必ず出席してほしいのだ。

きっと母親と二人で座るための特別席を用意しておく。

それにあなたの息子である新郎から父親に贈る言葉はもう、決まっているのだから。

春告げ鳥が囀りだすころになると母親は陣痛を訴える「真
似」をする。
どうやら僕が生まれる直前にウグイスの鳴き声が聞こえたこ
とが理由らしい。
「あんたは頭が大きかったからすごく大変だったのよ。」
しかし、そんな「痛み」の想い出話をする母親の表情は不思
議なことにいつだって笑顔だ。
「あの痛みは私があんたの母親だっていう証拠だから。」
新しい命を身体の中に宿せない僕にはその言葉が持つ本当の
意味は解らない。
もしその言葉の真意を感じる事が出来たならそれは嬉しい反
面で一大事でもある。
今年も満開の桜の木や雑林の中、至る所でウグイスは囀って
いる。
妹は未だにウグイスの鳴き声を聞くとコウノトリだと叫ぶ
が、きっとそれは母親のせいだろう。
ウグイスもそのあだ名には迷惑しているはずだ、恐らく。
しかしそんな呼び名も露知らず、我が家にもうひとつの春を運んだ
小さな鳥は今日もその美しい囀りを響かせている。

「オレンジ色の太陽と白い砂浜が海にお化粧をしているの。」

車窓から見える景色は徐々に背の高い建物が消えて、緑の絨毯が一面に敷かれていく。

彼女の瞳にはどのように映っていたのだろう。

「本当に綺麗だよ、いつか一緒にマレーシアへ旅行に行こうね。」

彼女の心にある想い出、車窓から見える平原、そしてこの先二人で歩みながら見る風景。

小淵沢駅で中央本線から小梅線に乗り換えた。

岩村田駅で途中下車したという証拠のメッセージを駅のベンチに残した。

そして近辺で一番栄えていると聞いた佐久平駅に到着する頃には辺りはもう真っ暗だった。

宿泊先など手配していない、昼過ぎに旅行がしたくなってすぐに出掛けたからだ。

大通りで見掛けたカラオケ屋へ入り始発までの時間を過ごした。

僕らの地元にもあるお店だったが、そこで登録した長野県印入りの会員証は旅の思い出だ。

そして店内に張り出されていた広告は下諏訪温泉郷めぐり、明日の行き先はその場で決まった。

汗だらけで、汚れたままだったけれど気にならなかった。

「日帰り温泉を真っ黒なお湯にしてやろう。」

そんなくだらない事で笑い合っていた。

切符を買って、始発の電車へと駆け込む。

そこには佐久平と黒々したインクで刻印されている。

何処にでもある長方形の切符だ、しかしもう二度と手に入らない魔法の切符に思えた。

再び小淵沢駅で長野駅へと続く中央本線に乗り換え下諏訪駅を目指す。

天気は良好、お天道が暖かい日差しと涼やかな風を運んでくれる絶好の散策日和。

無料足湯の看板を見掛けるとさっそく二人で足を突っ込む。

ポカポカした日差しと、暖かい足湯、そして先に足を突っ込んでいたお婆ちゃん。

僕らと同い年の孫がいるらしいお婆ちゃんはずっとニコニコ笑いながら空を眺めていた。

いいなぁと思う。

きっと異国の風景や建物は魅力的で素晴らしいだろう。

でものどかで穏やかなこの街にはこんなにも優しい風が吹く。

お婆ちゃんに別れを告げて歩き出すと彼女が口を開いた。

「あんな風にいつまでも笑っていたいよね。」

僕もそう思っていた。

どんどん過ぎていく日常の中でホッとする位の小さな幸せでいいのだ。

これからの人生のなかでそんな小さな幸せを見つけていきたい。

下諏訪の裏路地に並ぶ小さな旅館や民宿の温泉街、僕らはその中の一つの扉を叩いた。

「いらっしゃい、いまお二人さんだけだからお風呂は自由に使っていいよ。」

床に片足ずつ体重を乗せると、ギィっと年季の入った木張り特有の音が響く。

温泉は暖かくて、心が芯まで安らいだ。

雑誌に載っている整備されたきれいな温泉ではない。

でもカビが生えっぱなしの壁を見ても、少しお湯が濁っていても幸せだった。

彼女と二人で達磨のように真っ赤になるまで温泉に浸かっていた。

「ここはね、この街で一番古くからある旅館でね。」

お婆ちゃんは出掛けの僕らにそんな想いで話とスティックアイスをプレゼントしてくれた。

太陽はちょうど僕らの真上にある。

「こんなにいい天気だ、諏訪湖へ日向ぼっこをしに行こう。」

タクシーは絶対に使わない、かといって土地勘なんてない街並みを迷いながら歩く。

道に生える草花、猫、犬、お土産屋さん、目に映った全てが旅の想いでだからだ。

諏訪湖の畔に着く頃には少し日が傾き始めていた。

大小様々な白い石が転がる畔で大の字に寝転がった。

雲がゆっくりと風に流されて青空に行く筋も線を引いていく。

彼女との会話はなかった、言葉がなくても同じ空気を吸って同じ事を考えていたと思う。

「おめえら生きているのか、死んでいるのかと思ったよ。」

声のするほうに目をやると、手拭いを頭に巻いたおじさんが僕らを見ていた。

少し眠っていたらしい、隣を見ると彼女はまだ眠っているようだった。

「ここらは水の流れで死体が流れてくることが多いからよ、びっくりしたよ。」

この場所でも、観光ガイドに載らないような秘密の話を聞く事が出来た。

さすがに今の話を彼女が聞かなくても良かったとは思ったけれど。

彼女を揺り起こすとき、水面には夕日が反射してキラキラと光っていた。

「ほら、ここでもお化粧しているでしょう。」

諏訪湖に目をやると確かにそんな風に見えるかもしれない。

まるでお節句を迎えた少女のように色付いた湖は静かに風と踊っていた。

少し冷たい風が吹いてくる、行き先のない旅行から帰る時間も近づいてきた。

帰りの列車を下諏訪駅で待つ、夢から現実に帰るための切符も買った。

財布のなかには佐久平と書かれた想い出が一枚ひっそりと眠っている。

車窓から見える景色はもう真っ暗で、行きに見えた緑の絨毯は見えなかった。

大月駅を過ぎたあたりで携帯が震えた。

「小さいから見つけるのに苦労したけど、お前らの悪戯書きを見つけたぞ。」

写真付きのメール、そこには岩村田で僕らがベンチの裏に残した落書きが映されていた。

「友達に見つかっちゃった、あの落書き。」

彼女にそのことを告げる。

「駅員さんには絶対に見つからないよ、ベンチの裏に小さく書いたし。」

もう一度携帯が震えてメールが届いた。

「また遊びに来いよ、今度は長野の街を案内するから。」

そんな行きあたりばったりの旅行から四年が過ぎた。

いつしかそれぞれの道を歩き始めて、連絡もあまり取らなくなっていった学友たち。

四年前、二人が歩いた街並みにはもう笑いながら隣を歩く君の姿も見えない。

ただ過ぎていく時間の中で誰かのせいにして逃げて、僕は過去の思い出に縋りついていた。

ベンチに残した落書きは青のペンキで塗り潰されていたし、足湯もなくなっていた。

路地裏の旅館もその歴史にいつからだろうか、暖簾を降ろしていた。

それでも、あの時に見た心の景色はそのままの姿でそこにいた。

心がゆっくりと凪いでいくのを感じる。

行くあてのなかったあの旅行も、今は一つの行き先を僕に印してくれている。

変わらないものと変わっていくもの、僕らはきっと変わっていくのだろう。

そして、この街並みや景観もいずれは時代と共に移り変わっていくのかもしれない。

しかし、あの旅行で僕らが感じたあの暖かい気持ちはこの先もずっと変わらない。

本当に大切なものは目に見えないという事を、もう一度気が付かせてくれた。

やっぱりいいなぁと思う

自分の足で、しっかりと歩いていこう。

そしていつかビデオカメラを回しながら旅行に連れて行ってくれた父親のように、この風景を大切な人たちともう一度眺めにこよう。

そんなことを想いながら、ゆっくりと傾いていくオレンジ色の球体と、その球体から降り注ぐ柔らかな光でおめかしを始めたあの日の少女を僕はいつまでも眺めていた。

森のティータイムにお邪魔したようだった。

木々の間を颯爽と吹き抜ける風はウエイターだ。

大きく息を吸い込む、春告げ鳥の囀りは豊かな山中を木霊している。

風が届けた紅茶には少量のスギ花粉と花弁がブレンドされているようだ。

時折、祖母が木々を眺めてはくしゃみをしている。

枝の軋む音に目をやるとタイワンリスが木々の間を縫うように飛び交っている。

山道を歩いて行くと突然に視界が開けて子安の里にある野原が広がった。

目を凝らせば遠くに青い山が海面に映る。

野原には樹齢数百年は経っているだろう巨木がどっしりと腰を降ろしていた。

その隣で巨木を支えるように生える山桜は頬をピンク色に染め上げている。

心が洗濯されるとはこういう事なのだろう。

寄り添うように春を迎えた木々。

春の到来を祝福するように咲く薊、蒲公英、矢車草。

空を流れていく雲がゆっくりと語りかけてくる。

そっと慰めるように、それでいて叱るように。

今年で八十を迎える祖母はこの風景に何を想っているのだろう。

この場所まで言葉を交わす事なく歩いてきた。

僕と祖母の目に映る風景や感じる風、日差しは同じものだと思っていた。

綺麗だね、そう話しかけた僕に祖母は口を開いた。

「この風景を見せてあげたかったね。」

祖父と過ごした年月は五十数年、その最愛のひとと死別して半年が過ぎた。

おそらく祖母の目に映ってきた風景は、そのまま祖父との風景だったのだろう。

この半年、そしてこれから祖母の目に映る風景に祖父はいない。

一緒に見ているよ、そんな言葉しか掛けられない僕に祖母は笑いかけた。

「そうだと嬉しいね。」

笑う事が滅多になかった祖父。

しかし、祖母との旅行で撮られた写真は不思議なものでどれも笑顔だった。

そしてその隣に映る祖母も幸せな表情で笑っていた。

祖母は笑顔を作る魔法使いだったのだろうか。

それとも幸せの小包を贈るサンタクロースだったのか。

もしかしたら、何十年も連れ添ってきた祖父と祖母の間には家族であっても割り込めない絆があったのかもしれない。

だからこそ行き先が何処であろうとも寄り添う二人の表情は自然と綻びる。

いつかそんな絆を僕も誰かと感じる事が出来るのだろうか。

祖母の目には、あの山桜が恋をした女性であり、隣の巨木は不器用ながらも山桜を守る男性に見えていたとあとで話してくれた。

「あんな風に守ってくれているかのかね。」

そういって寄り添う恋人を見上げた祖母の表情は少しだけ綻びていた。

空はどこまでも青く澄みきっていた。

 

適当に小説とかいろいろあげるのでよかったらよんでいってください。

おねがいします。

今日も横浜はいいてんき。