前回のブログで、治療を受けたいのにお金がない人は芋でも持ってきてくれればよいと書きましたがなまじ嘘ではありません。
専門学校に通っているときに先生から卒業した生徒でこんな人がいるという話を聞きました。
それは、学校の成績もたいしたことのない生徒で卒業してからの腕も悪かったんだけど田舎へ帰り競争用の馬を治療したところ人間の治療よりもうまかった...馬だけにね!とは言いませんでしたが、人間それぞれ得手不得手があるもんだなーと感心しました、そしてその人はその後馬専門の整体師になったらしいです。
それからある人は田舎で開業したところ人口も少なく患者さんもそんなに来ないんだけど、それこそ本当に治療のお礼が自分の畑で採れた野菜だとか釣った魚だとかだったそうです。
人間が食べるために働いてるんだとしたら、っていうかそれ以外の目的や欲が多すぎるからおかしな時代になってるんだと思いますが、本来働くってそういうことなんじゃないかな?って思ったりします。

現代の人間は例えば洋服がほしい、より美味しいものを食べたい、旅行がしたい、それがどんどんエスカレートして豪華な場所へ行きたい、何百万もする珍しい犬を飼いたい、はては自分の顔が気に入らないので整形したい、などなど欲望の天井がありません、それは普通のことですか?どこまでいっても満たされず欲望と引き換えに何かを犠牲に、または誰かを犠牲にはしていないでしょうか?本当にしていないでしょうか?美食の裏で無駄に殺されてる動物たちのこと、不当に労働させられている人たちのこと、見た目の可愛さを求めて闇に消されている動物たちのこと、そして自分自身の健康を失っていることなどあげればきりがないほどです。
もしかすると私も膠原病という経験がなかったらそのことに気がつかなかったかもしれませんし気づいても見て見ぬふりだったかもしれません。
膠原病という経験の中で一つ失い、二つ失い、三つ、四つと否応なしに引き算していく人生を歩んだからこそわかったことがあります。
生きている命、それ以上に大事なものなどないってことです。
命を削って働いてそれがなんになるんだろう?でもそうするしかない時代に誰がしたんだろう?
無力な私に打開策などないのだけどとにかく考える、そのためには膠原病などにつきあってる暇などないのだ。










本日も最後までおつあいくださいまして、ありがとうございました!


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元プロレスラーで元膠原病患者で現在治療師のブログでした!

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