さくらんぼの実る頃 クレール・エルジエール
どこかでお聴きになったことのあるメロディでは無いでしょうか。
「さくらんぼの実のなる頃」は、もともとフランスのシャンソンなんですね。
こちらが原曲。
クレール・エルジエールは、なんと1971年生まれ。
お若いです。
自分は加藤登紀子のCDで聴きました。
民音創立60周年を記念する「パリ、愛の歌~魅惑のフレンチ・シャンソン」。 シャンソン歌手のクレール・エルジエールが、パリ・ミュゼット・バンドと共にシャンソンの名曲を披露しています。
動画では、公演から「さくらんぼの実る頃」の歌唱と、インタビューをお届けします。
●シャンソン歌手のクレール・エルジエールClaire Elziere
1971年8月24日パリ生まれ。
楽器(リコーダ、ピアノ)を演奏したり、様々な合唱団に繰りかえし参加した後、シャンソンの世界に飛び込む。
1997年にパリ、シャンソンアトリエ(クリスティアン・ダントゥ運営)のショウの最中にピエール・ルーキー(50年に及ぶ作詞とショウの実績があるアーティスト)に見出される。
同じ年、ピアニストのグレゴリ・ヴーに出会う。
1999年にはモントーバンのフェスティバルにて、ジュリエット・グレコの前で歌い、絶賛される。
2003年にはファースト・アルバムがピエール・バルーによって創設されたレーベル「サラヴァ」からリリースされる。
2007年にはアコーディオニスト、ダニエル・コランのリーダーアルバム「フレンチ・カフェ・ミュージック・パリ・ミュゼット2~セーヌ川左岸のロマンス~」にて3曲ボーカルナンバーを披露。続く同年12月のアルバムリリースライブにもゲスト参加し、「ミロール」他シャンソンのスタンダード・ナンバーを歌い、大絶賛される。
2008年にはセカンド・アルバムであり、また日本ではデビュー・アルバムにあたる「パリ、愛の歌~永遠のシャンソン名曲集~」をリリース。
2009年春にはピエール・ルーキーの詞に曲を付けたアルバムをリリース。そして同年、4枚目のオリジナル・アルバム「パリ、愛の歌第2楽章~永遠のシャンソン名曲集~」がリリースになる。
2014年にはサラヴァからアルバム「Chante Allain Leprest」をリリースする。
2018年には「パリ、愛の歌~永遠のシャンソン&フレンチポップ~」をリリース。6月12日より千葉を皮切りに全国10ヶ所でのホールコンサートを行い大絶賛を博する。
(メーカー・インフォメーションより)
●加藤登紀子「さくらんぼの実る頃」
こちらも聴いてみて頂けると、記憶ありかもしれません。
Colabo / 名誉棄損地裁裁判で全面勝訴
暇空茜こと水原(40代男性)を訴えていた東京地裁の裁判、7月18日に全面勝訴。
そうなるとは思っていましたが、無理筋の暇空茜が敗訴し良かったです。
これにて、新宿区等行政からの補助金停止が解決すると良いのですが。
●仁藤夢乃さんFaceBookより
暇空茜こと水原(40代男性)を名誉毀損で訴えていた裁判で、全面勝訴しました。
被告の主張は一つも認められず、被告の投稿がデマであること、好きなアニメを批判されたという私怨から事実を歪曲して投稿を繰り返していることが裁判所に認定されました。
神原弁護士による判決の解説です。
報告集会動画をぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/live/VW4B8XWdiQo?si=vFscQWuIBIBzWeoi
暇空茜らからのデマ拡散「生活保護ビジネス」は嫌がらせ・誹謗中傷ですし、「Colaboは10代の女の子をタコ部屋に住まわせて生活保護を受給させ、毎月一人65000円を徴収している」「生活保護不正受給」もまたデマ。
少女達のシェルターは以前からの室内写真で自分は幾つも見てきていましたから、とんでも無いデマだと思っていました。
ツイッターやnote、YouTubeで投降拡散により、Colaboは行政補助打ち切りに陥り、活動が続けられなくなる恐れがあったのです。
今日は、デマや誹謗中傷が深刻化したこの2年間、怒りを共有しつつ前を向いて活動を続け、女たちの連帯をつくり続けてくれたスタッフたちと暇空裁判お疲れ様会
甚大な被害を受けながらも、たくさんの人の支えと連帯でますますパワーアップしたColaboこれからも楽しくがんばる
写真は弁護団と女の壁メンバーと入廷時。みんな怒っている。
<TOKIKO NOW> 『安田講堂コンサート素晴らしかった!』 加藤登紀子
FaceBookにおいて、加藤登紀子の記事を見つけました。
どうやら、母校・東京大学の安田講堂において7月14日にコンサートを開いたようです。歌手登壇から60年目にはいったという、おときさん。
<TOKIKO NOW>
『安田講堂コンサート素晴らしかった!』
(2024.7.16up)
7月14日、235年目のフランス革命記念日に開かれた安田講堂での能登半島被災者支援コンサート、ほぼ満席のお客さんの熱気の中で、大成功に終わりました。たくさんの方のお力でこの結果になったと思います。本当にありがとうございました。1部では東大同窓生オーケストラの演奏があり、2部を受け持った私。
「さくらんぼの実る頃」「時には昔の話を」で幕を開けましたが、コメントの一言一言にも思いが重なり、思いがけなく、熱い想いが込み上げて来て、自分でも驚きました。
ギターの弾き語りで歌った「ひとり寝の子守唄」に続いて予定になかった「1968」を歌いました。
1968年、東大全共闘がこの安田講堂を占拠し、翌年の1月に機動隊が入って全ての学生が逮捕された歴史について、詳しく語る時間はないけれど、あの頃、世界中の若者が同じ反戦の思いを共有する大きなうねりの中にあったことを伝えたいと思ったのです。
その後に続いて能登の人たちに贈る新曲「風が吹いています」を歌いました。ギリギリまで、詩の推敲を重ねた歌だったので、一語一語踏み締めるような気持ちで歌いました。
練習しながら、何度も嗚咽しそうになったので、泣かずに歌い切るのに必死でした。
後半はオーケストラと一緒に、「無垢の砂」「イマジン」を歌い、この安田講堂が小野洋子さんのお祖父さんの安田善次郎さんの贈ったお金で建設されたこと、しかもその着工の年1921年に、安田善次郎さんが暗殺されているという衝撃的な出来事があったということをお話ししました。1980年、ジョンが暗殺されたことと併せてみると、洋子さんの運命の凄さを思います。
この日の打ち上げで、これからはこの安田講堂を「イマジン・ハウス」と呼ぼうと提案。大いに皆さんの賛同を得ました。
きっといつか、この呼び方が定着することを念じて、言い続けたいと思います。
最後の「百万本のバラ」そして「愛の讃歌」は、本当に素晴らしい演奏で盛り上がり、忘れられないコンサートになりました。オーケストラの皆さま、本当にありがとうございました。
また一緒に歌えるのを楽しみにしています。
今日、ゆっくりプログラムを読んで気がついたのですが、「さくらんぼの実る頃」についての解説の中で、パリ・コミューン の闘争の中で活躍したルイーズ・ミッシェルが、この戦闘の中で亡くなった、との記述がありましたが、これは間違いです。実は彼女はニューカレドニアに流刑されたのです。
島に渡った彼女は、原住民の人たちに寄り添い、彼らに自立する力を持つように導いたと言われています。
今、独立派の暴動に揺れているニューカレドニア。トップニュースに躍り出て来ています。パリ・オリンピック開催の中、世界の激風がどんな風に影響してくるのか、本当にすごい夏になりそうです。
奇しくも、1965年の7月14日は私がシャンソンコンクールに優勝して初めて歌手として日比谷野外音楽堂でパリ祭の舞台に立った日。それから59年が過ぎ、この日から60年目に突入しました。
天候の激しさも気になる中で始まる夏休み、皆様。くれぐれも楽しい時間を謳歌して下さい!
登紀子
#安田講堂 #能登半島 #オーケストラ #チャリティーコンサート #東大
●加藤登紀子 「1968」
この「1968」は知りませんでした。
初めて聴きます。
ちょっと字余り的な詞。
1968年ととととはどんな年だったのか、加藤登紀子のお話動画です。世界の幾つかの動き、黒人差別、ベトナム戦争、フランス、日本の全学連等・・・。
負けた闘いと言われているが、その年に生まれたことは現在まで続いている。ぜひ知って欲しい・・・と。