『これから』仲間友祐君・宮古高校三年生 沖縄慰霊の日2024 | 群青

『これから』仲間友祐君・宮古高校三年生 沖縄慰霊の日2024

2024年6月23日沖縄慰霊の日でした。

糸満の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県立宮古高校(宮古島市)3年の仲間友佑さん(18)が自作の平和の詩「これから」を朗読しています。

●自作「これから」全文

 

 

短い命を知ってか知らずか
蝉が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った
大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも
    失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて

今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら

 

 

 

 

力強い詩であり、平和への力強いメッセージであり、力強く訴える朗読。

朗読の言葉が字幕で出ます。

 

●毎日新聞による仲間君の紹介

毎日新聞取材によると

『自身の父方の祖父母は既に亡くなり、母方の祖父母は戦後生まれ。身内の戦争経験の詳細は分からない。幼いころに受けた平和学習はどこか人ごとだった。だが成長し、世界に関心を持つにつれ「戦争は過去のものではない」と実感した。』
 

『日々、目に飛び込んでくるのはロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区での戦闘のニュース映像。がれきの中で泣いたり、母親を必死で起こそうとしたりする子どもの姿に「すごく苦しい気持ちになる」。戦後、日本で多くの人が祈り続けてきた平和への思いを踏みにじられているように思えた。

 詩は、命はかないセミの鳴き声が響く場面で書き出し、戦争で犠牲になった人たちへの思いを表現した。助けになったのは小学校のころ「慰霊の日」に合わせて歌った平和を願う歌「月桃(げっとう)」。今もふと口ずさむ歌詞にある夏の描写にイメージを重ねた。』

と・・・仲間君の認識と思いを紹介しています。
ウクライナ侵攻、ガザ攻撃という同時進行のニュースの子ども達の姿をマッスグに見つめているんですね。

『命はかないセミの鳴き声』という認識が凄いと思い。

読んでいて、こちらも辛いです。

 

 

 

●「平和の礎」には24万2225人の名前 NHK NEWSWEB6月23日より

平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」は沖縄戦などで命を落とした人々を悼み、悲惨な戦争の教訓を後世に継承しようと、戦後50年の1995年に建てられました。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった人の名前が刻まれています。

 

なんとも言葉が出ません。

24万人とは。

家族の一人を亡くしただけでも、絶望し悲しみに暮れるのに。

 

 

 

●「これも骨だよ」遺骨を掘る人、具志堅隆松さん 沖縄タイムス動画

 

 

 

 

 

 

●参考までに