Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物) | 群青

Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物)

ラトビア国の曲です。

この国はバルト三国のひとつだそうです。

Māriņa(マリーニャ)は愛を司る女神や既婚・母性といった意味なんだそうです。

 

曲をまずお聴きいただけると、すぐに、怪我をしてしまった少女が成長していった歌だと、分かると思います。
 

 

 

 

冒頭に「1981年歌謡コンテスト優勝」の曲だとも出ます。

歌詞は、字幕で現地の言葉と日本語訳が出てくるので、分かります。
 

どうやら、少女が主人公の歌詞です。
怪我をした少女がママを探した。そしてポケットに入れたという歌詞が冒頭に出てきます。

意味が限りなく深そうです。

小さい少女なのでしょうか、やさしくやさしく歌っていますね。

 

しかし、最後で、当時のラトビアについてロシアとドイツの密約という時代背景がテロップにて出ます。

聴いた方は、それでやっと、この歌の「少女」が誰であり「怪我」がどんな怪我だったのか知らされることになります。

 

加藤登紀子もいいですが、こちらの原曲はもっと素晴らしい歌なのだと思います。

 

 

 

●参考 ラトビア・リエバーヤ交響楽団による演奏版

こちらにも歌詞ではないようですが、一部字幕がでます。
後半歌唱はどうやら加藤登紀子による「百万本の薔薇」です。

 

 

 

【ラトビア共和国】 

北隣のエストニア、南隣のリトアニアを含めたバルト三国は1940年にソビエト連邦に占領・併合され、ソ連崩壊に伴い独立「回復」を宣言した(ラトビアは1990年5月)。その後は親欧米路線をとり、2004年に北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)に加盟し、2014年には通貨ユーロを導入。2016年には経済協力開発機構(OECD)加盟国となった。 ラトビアは、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つ。北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア連邦、南東はベラルーシと陸上国境を接する。国連の分類では北ヨーロッパの国である。首都のリガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つでもある。 公用語はラトビア語である。国民の約27%がロシア系住民で、映画・テレビ・新聞・雑誌などではロシア語も広く利用される。また、世代によっては英語またはドイツ語も話すことができる。このマルチリンガルな国の特色は外国企業の進出の要因にもなっている。 北方戦争などを経てロシア帝国支配下となったが、第一次世界大戦後の1918年11月18日に独立を宣言。ロシア革命で成立したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ソ連の前身)は1920年にラトビアと平和条約を結んだが、ソ連はナチス・ドイツとの密約に基づき東欧や北欧への侵略を進め、ラトビアなどは1940年に占領された(バルト諸国占領)。 翌1941年、ナチス・ドイツがソ連に侵攻(独ソ戦)。緒戦の進撃でラトビアも占領されたが、ソ連軍の反攻で再占領された。その後はソビエト連邦構成共和国の一つとなり、ソ連崩壊で1990年5月に独立回復を宣言した(日本国政府による国家の承認は翌1991年9月6日、外交関係樹立は同年10月10日)。 政体は共和制である。議会 (サエイマ Saeima) は、一院制で定員100議席、任期は4年である。ラトビアの大統領は、議会内での選挙で選ばれ、任期は4年である。 主な国内問題としては、国内に居住するロシア人への処遇問題がある。ソ連時代からラトビア領内に住む非ラトビア人に対しては、ラトビア国籍取得に際して軒並みラトビア語試験などを課し、民族主義的な側面が多々あり、2018年時点で約23万人のロシア人が無国籍である。最大のマイノリティであるロシア系市民やロシアが頻繁にこのことに関する改善を要求し、EU加盟委員会も加盟に際してこの問題の改善を促した。 他方、首都リガではロシア語生活者が半数近くを占めるなど文化としてのラトビアの存続に危機感が募る中、EU加盟後の現在でもロシアはこの問題を外交カードとして使っており、ラトビアにとっては非常に悩ましい問題である。 EU加盟後も、ロシアと国境問題が存在した。これは併合前の国境を主張していたためで、ロシアとの国境は暫定国境になっていたが、両国の関係改善を求めるEUの働きかけもあり、最終的にはラトビア側が要求を取り下げ、2007年3月27日にロシアとの国境画定条約に調印した。 2022年ロシアのウクライナ侵攻を受け、同年7月6日、徴兵制復活を発表した。徴兵制は再独立後の1992年に導入し、2007年1月1日より完全志願制に移行していた。