ヘイトNO 民族差別が何故突出してきたのか? | 群青

ヘイトNO 民族差別が何故突出してきたのか?

京都朝鮮人学校襲撃事件からもう10年が経ったそうです。
当ブログでは、この事件に関する最高裁判決の原文をご案内したことがありました。

在特会側の主張がことごとく裁判所から退けられた判決でした。

さて、難しいことはとてもじゃ無いがつぶさに分からない自分です。
少し古いSNS投稿ですが、上智大学の松浦さんが投稿された短文をここに転写しアップさせて頂きます。
何故、差別する者達は「差別」するのか・・・・。それが生起してくる構造は、実は『経済』にあるのだという分析を松浦さんがなさっております。
以下、ちょっと古いご投稿ではありますが、まずはお読み頂くと有り難いです。

 

*「〈差別〉というのは、悪人の邪心から起こるのではない」

… 幼児の間にはほとんど〈差別〉が存在しない。

〈差別〉は疎外感から起こり、「本来自分たちのものであるものをよそ者が横取りしている」等々の強い欠損感情から起こる。

...

◆ ほとんどの人は〈差別〉の背後にある経済的競合関係が見えていない

戦時中に、枢軸国の中から日本だけを選び、日系人だけを強制収容所に収監した背景には、勤勉な日系人が築き上げた財産や家屋を横領しようという底意があったことは、当時の米紙が雄弁に示している。

安倍政権が推進している新自由主義的な構造改革は、格差を当然視しているので、「強いものが益々強くなり、後は淘汰に任せる」悪循環が起こり、社会全体の貧困化は、疎外感を抱く周辺人を増やす

レイシストたちは、知的訓練に乏しいので、政治的、経済的原因を探るようなことをせず、この構造的矛盾生きづらさを実体に転化し、取りあえずの安心に逃げ込む。

これが在日韓国・朝鮮人への〈差別〉の正体で、反ユダヤ主義をアウグスト・ベーベルが「愚者の社会主義」と呼んだのは、まさにそういう意味である。

 

◆ 大学教育を企業の研修所化は社会を荒廃させる

安倍首相が「瑞穂の国の資本主義」と呼ぶ日本型新自由主義は、社会福祉を経済成長の足かせと考えている。

それはなぜか?

安倍政権は「人材育成らも、可及的速やかに取り組まなければならない。第4次産業改革が進展する中でも働き手に求められるスキルや業務は何なのか。人材育成も、そうした将来像からバックキャストとして、検討して行く必要がある」としている。

「バックキャスト」(backcast)とは予測を意味する「フォアキャスト」の対概念で、到達すべき目標を定め、そこから遡って逆算するかたちでなすべき事柄や手順を示す態度である。

教育実利化だけを目指すと、社会は直近の利害損得だけを考えるようになり、恋愛は源泉徴収票の交換に変わり、教育は将来の見返りを期待する先行投資ということになる。

そうなると、人間は購買力だ価値が計られ、人間関係は「こいつと付き合う得か損か」という利害関係だけとなる

 

◆ レイシストたちが本当に憎んでいるのは「在日」ではない

在特会などレイシストの主張の一つに「在日は生活保護が取得し安い」というものがある。

これは〈差別〉により1世、2世が教育から排除され貧困を強いられて来たという現実を無視した暴論だが、障がい者、高齢者、母子家庭、そして生活保護家庭など社会的弱者が攻撃の対象となる背景には、「こいつと付き合う得か損か」という功利主義が存在する。

だからこそ、レイシストの攻撃は、権力者や富裕者には向かわないのである

なぜレイシストの攻撃は社会的弱者に向かうのか?

それは、マイノリティの弱さがレイシスト自身のみじめな境遇を想起させるからで、レイシストたちが本当に憎んでいるは「在日」ではなく、失敗し自分の人生そのものなのである

 

●知的訓練のこと

「知的訓練に乏しい」とは耳が痛い。
まず読み方の前提条件ですが、分析上で松浦さんは、レイシストの事を指しておっしゃっていますが、レイシストだけが「知的訓練に乏しい」と特定された訳では無いでしょう。自分も含めて、国際的な諸関係の歴史に通じるなんて、日本社会では、例え、大学を出ているからといって、そんなにあり得ない。

生に近い人間個人の視座に立って近代・現代史の出来事を中学高校では教えてくれないし、また大学では専門学選択でなければ学ぶこともありません。色んなインターネット上の示唆から学んで、やっと朧げに学べる程度。
大雑把に、庶民とはそんな程度だろうと思います。

 

●キッチリした冷静な眼力の松浦さん

そういえば・・・・ヘイトのグループは、富裕者や政治担当の政権に向かった事が無い。
社会的弱者へと向かう攻撃は、何故なのか。

松浦さんの分析は、「強い欠損感情」、「失敗した自分の人生そのもの」をレイシスト達は憎んでいるのだ・・・という結論。
いや、「悪人の邪心から起こるのでは無い」という冒頭タイトルもまた、松浦さんが分析した重要なポイントでもあるように感じます。
歴史的事実、現在的事実に疎いばかりでなく、ほぼ妄想に妄想を重ねた上で、他民族差別に転嫁していく思考が何故突出するのか・・・。
少し離れますが、元在特会近辺に参加しその後離脱した若者の言葉を思い出しました。
・・・・孤独で寂しかったから。

 

●松浦さんの引き続くご活躍を

実は、松浦さんは、2015年安保法制の後の国会前行動でいつも参加されていた方。
偉ぶらず清々しい感じの、ちょっと知的な風貌の感じの方だな~とは思っていました。
上智大学の先生だと知ったのは最近のことです。
上の投稿文の中で「教育」についてチラリと触れていらっしゃいますが、文化・民度や民族的な固有性にも含蓄ある短いご投稿を、自分は幾度も拝読させて頂いておりました。
民族の自立と他の民族との共存という点は、自分もまた大いに賛成してきたところでした。

 

かってSNSグループの世話人をされていた頃、中国共産党によるキリスト教弾圧にも激しい怒りを表明されて、共産主義独裁体制の悪弊を非難されていました。共産主義そのものに嫌悪を抱かれているのかもしれませんし、また、自分としては余り拘らないんですが、「左翼」出身の方々とは必ずしも折り合いが良い方ではなかった方かもしれません。
また、在特会ヘイト街宣華やかしり頃、カウンター行動にかなり参加されていた模様です。


頼もしい学者さんでは無いかな~と、これからの松浦さんの研究や街頭行動にも期待したいと思っています。

 

 

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